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社説・コラム

『記者縦横』 基地負担軽減 道筋示せ

■東京支社 口元惇矢

 沖縄県糸満市の平和祈念公園の一角にある平和の広場。中央に立つ円すい形の石碑に「平和の火」がともる。「この火は広島から持って来たんですよ」。沖縄の本土復帰50年の取材で訪れた5月中旬、管理団体の事務局長、松川満さん(69)が教えてくれた。

 広島市中区の平和記念公園にある「平和の灯(ともしび)」に加え、同じ被爆地の長崎の火、現地の火の三つを合わせた平和のシンボルだ。復帰50年に合わせて沖縄入りした岸田文雄首相(広島1区)も記念式典の前日に訪れ、採火の経緯に耳を傾けた。

 岸田首相は式典で「沖縄の皆さまに大きな基地負担を担っていただいている」とし「引き続き負担軽減に全力で取り組む」と誓った。ただ、その後の玉城デニー知事との会談も含めて、具体的な手だてには触れずじまい。歴代政権との違いは感じられなかった。

 沖縄には今なお、全国の在日米軍専用施設の7割が集中。政府が本土復帰に際し県と掲げた「平和の島」への道のりは遠いと言わざるを得ない。米国自ら「世界で最も危険な米軍基地」とする普天間飛行場に至っては、返還のめどすら立たぬまま、代替の辺野古新基地の建設が進む。

 政府は辺野古への移設が普天間飛行場の危険を取り除く「唯一の解決策」と繰り返すが、地元は辺野古移設で新たな負担が生じると反発する。沖縄と同じく戦火をくぐった広島選出の岸田首相は、具体的な「負担軽減」の道筋を示す時だ。

(2022年6月17日朝刊掲載)

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