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高知・室戸ルポ 終わらぬビキニ事件 水爆実験被災 元漁船員 救済ないまま

 1954年のビキニ事件は第五福竜丸だけの問題ではなく、過去の話でもない―。この事実は今の日本でどれだけ知られているだろうか。水爆実験で被災した高知県の元漁船員や遺族が救済を求めて司法の場に訴えてから6年。核実験被害者の援助を定めた核兵器禁止条約の第1回締約国会議を控えた先月、高知県室戸市などであった「ビキニデーin高知」を取材し、被災の全容はどう隠蔽(いんぺい)されたか、当事者の声はなぜ届かなかったのか、つぶさに知る機会を得た。(客員特別編集委員・佐田尾信作)

 米国による中部太平洋・マーシャル諸島ビキニ環礁の水爆実験で被災した日本漁船は千隻に及ぶという。しかし翌年には日本政府が早くも「見舞金」だけで対米交渉を打ち切り、静岡県焼津市のマグロ漁船・第五福竜丸以外は黙殺された。

 高知県の漁船の被災は実に30年後、幡多高校生ゼミナールが聞き取りするなどして掘り起こされる。さらに30年余り後の2016年には元漁船員らが日本政府に対して国家賠償請求訴訟を起こし、全国健康保険協会(協会けんぽ)に対しては船員保険の適用(労災認定)を求めて集団申請に至る。国賠訴訟は二審敗訴で断念したが、労災認定を求める訴訟は高知地裁で進行中で、17日に証拠保全証人尋問があったばかりだ。

 「ビキニデーin高知」は昨年に続いて2回目。近海マグロはえ縄漁が盛んで今も13隻が操業する室戸市では、参加者が接岸中の漁船内を見学し、船主が「蓄養マグロが話題になる時代だが、私たちが命懸けで漁をしてきたことを知ってほしい」と語るのを聞いた。

 かつて核実験に遭遇した漁船は取った魚を廃棄させられ、頑健な漁船員たちが相次ぎ健康不安を訴えた。治療費で家庭は苦境に陥ったが、救済策は全くないままだ。シンポジウムでは元漁船員が「当時、国にはもうちょっとやれることがあったのではないか」とつぶやくように証言した。

 ビキニ事件直後、同県内でも水爆実験反対の世論が高まっていた証しはある。太平洋核被災支援センター(同県宿毛市)の濵田(はまだ)郁夫さんによると、54年4月に高知新聞が船主や漁船員の座談会を開き「政府は甘っちょろいですね」「平和の道具だと言っている学者もいるが、水爆は兵器だ」といった発言を拾っている。その後も英国の核実験に抗議した室戸岬町(当時)での町民大会などを報じているが、60年代に入るとトーンダウンする。

 ビキニ事件の実態を長年調査してきた浜松市の聞間元(ききまはじめ)医師は「なぜ忘れ去られたのか」とシンポで問い掛けた。専ら広島・長崎のような目に見える核被害しか語られなかった▽放射性降下物の影響を米ソが隠蔽した▽水産庁練習船・俊鶻(しゅんこつ)丸による2度の海域汚染調査が生かされなかった―などの点を指摘する。

 「原子力の平和利用」という名の日米にまたがる大きな力が当事者の声を押しつぶしたのか。80年代に室戸市の元漁船員が「検査のための血の一滴も採ってもらっていない」と証言したが、第五福竜丸の漁船員以外は健康調査もしなかった日本政府の責任は重い。

 核兵器禁止条約は第6条で「被害者に対する援助および環境の回復」をうたう。21日にオーストリアで始まる第1回締約国会議は、条文の具体化に向けた議論の第一歩。水爆実験による被災は今なおマーシャル諸島や隣国キリバスなどにも共通する問題だ。現地の被災調査を手がけてきた竹峰誠一郎・明星大教授は呼びかけた。「研究者やジャーナリストさえもすくい上げてこなかった声をちゃんと聞こう」

ビキニ事件と高知
 放射能汚染によってマグロを処分した日本漁船は延べ992隻。うち高知県分は延べ270隻に上った。第五福竜丸と同様に「死の灰」を浴びた漁船も存在したが、船員の検査記録は本人に開示されず、厚生省(当時)は1954年12月末までに被災船全ての調査を打ち切った。86年の国会審議で、資料はないと政府は答弁。2014年に一転、日本漁船延べ556隻の検査記録を請求に応じて厚生労働省が開示した。

(2022年6月20日朝刊掲載)

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