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国際交流拠点WFC 館長・理事長とも交代 平和発信 心新たに誓う

 米国出身の平和活動家、故バーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が65年に開設した国際平和交流の拠点ワールド・フレンドシップ・センター(WFC、広島市西区)の米国人館長と、運営するNPO法人の理事長が交代した。新型コロナウイルス禍で訪問者受け入れは困難な状況が続く中、心新たに平和発信を誓う。(金崎由美)

 42代目の館長はシアトル出身のマシュー・ベイトマンさん(31)とオレゴン州出身のマラカイ・ネルソンさん(27)。ここに集う被爆者や日本人スタッフ、ボランティアと協力し、WFCに宿泊しながら平和研修を受ける利用者への応対や、平和を伝える英語クラスの講師を担う。

 歴代館長は、米国の協力団体から任期2年でボランティア派遣されている。多くは退職後世代の夫婦だが、コロナ禍で人選が難航。10年前の館長ジョアン・シムズさんが教員時代の教え子ベイトマンさんと教会活動を通じた知人ネルソンさんにそれぞれ打診し、若手男性コンビとなった。日本政府が入国制限を緩和した3月、前任のエドマーク夫妻と交代した。

 ベイトマンさんはシムズさんが館長だった当時、WFCを訪れた。被爆証言を聞き「戦争全体の話で終わらず、一人一人の体験に触れること」を知った。「いつかは館長に、と思っていた」。ネルソンさんも「被爆者の証言が持つ力を届けたい」と意欲にあふれる。

 理事長は10年ぶりの交代で、山根美智子さん(75)=南区=から立花志瑞雄さん(66)=佐伯区=へバトンが渡った。被爆証言の翻訳や原爆養護ホームへの訪問活動を続ける山根さんは「館長たちの平和主義と奉仕の精神に支えられた。『人が出会えば相互理解と友情が生まれる。友情が戦争を防ぐ』というバーバラの信念を受け継いでいく」

 立花さんは、被爆者医療に尽くしながら約20年間在任した故原田東岷医師、26年間にわたり理事長を務めた被爆者の森下弘さん(91)=佐伯区=と山根さんを経て4人目の理事長。建物は3回移転し、96年から東観音町の施設が拠点となっている。

 運営は容易でない。2019年度に世界から1018人を受け入れたが、コロナ禍の20、21年度はほぼゼロ。証言活動を担う被爆者は高齢になり、昨年は岡田恵美子さん(享年84歳)が亡くなった。米韓の市民と相互にホームステイする「平和交換使節」(PAX)などもオンラインに切り替えた。それでも立花さんは「被爆者の思いを伝える架け橋の場を大切にしたい。活動の記録資料の保全と継承にも取り組む」と話す。

WFC開設 レイノルズさん

被爆者の苦難と歩む

 レイノルズさんは占領末期の51年、原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所、南区)に赴任する夫アールさんと広島に足を踏み入れた。原爆被害の惨状を知り衝撃を受けた。

 さらなる転機は58年。家族でヨット世界一周の旅の途中、米国による水爆実験への抗議を決意し、マーシャル諸島の立ち入り禁止区域に突入した。61年にはロシアの核実験に抗議してナホトカへの航海も試みた。

 62年、核保有国に被爆の実態を知らしめようと被爆者の故松原美代子さん、原爆孤児と米国などを「平和巡礼」として巡り、64年には約40人を率いて欧州などを訪問した。65年、親交が深い原田医師とWFCを設立。69年の帰国後も活動を続けた。広島市から特別名誉市民の称号を贈られた。

 クエーカー教徒として清貧を貫き、被爆者の苦難をわがこととした反核人生。ウクライナ侵攻を巡りロシアが「核のどう喝」に出た今、森下さんは「バーバラならどうするか」と思いを巡らせる。原爆資料館(中区)そばの記念碑は、生前の言葉を刻む。「私もまたヒバクシャです」

(2022年6月20日朝刊掲載)

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