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連載・特集

核兵器禁止条約 締約国会議を前に <4> KNOW NUKES TOKYO(ノー ニュークス トーキョー)共同代表 高橋悠太さん(21) 原点に不条理への抵抗

被爆者の声 背負い行動

  ≪オーストリア・ウィーンで始まる核兵器禁止条約の第1回締約国会議に合わせ、ノーニュークストーキョー(KNT)のメンバー4人と現地入りする。KNTは核兵器廃絶を目指して活動する若者グループ。渡航を前に、日本の外務省が委嘱する「ユース非核特使」に申請し、任命を受けた。≫
 現地では会議の傍聴のほか、被爆者から借りた着物をKNTのメンバーが着て、被爆者の人生や抱え続けてきた苦しみ、核兵器の非人道性を国際社会に訴える。高齢化する被爆者の中には、現地に行きたくても行けない方が少なくない。そんな被爆者の悔しさを僕たちが背負い、核兵器廃絶のメッセージを届ける。

 日本政府は締約国会議へのオブザーバー参加を拒んでいる。一方で現地入りする僕たちKNTのメンバーを「ユース非核特使」に任命した。僕たちの任命で、被爆国として一定の責任を果たしたと思わないでほしい。国際社会を核兵器廃絶へと導く会議には、被爆国の政府も参加するのが筋だ。僕たちは引き続き政府のオブザーバー参加を求める。

  ≪昨年5月、長崎出身の大学生とKNTを設立。交流サイト(SNS)やオンラインイベントを通じて核兵器廃絶を訴えている。≫
 「おまえの活動は大切だと思うけど核兵器廃絶は夢物語」。大学に入学して間もなく、同じ学部の友人に言われ言い返せなかった。感情で訴えるだけでは人も社会も動かせないと気付いた。この経験を踏まえ、核兵器を巡る知識を深め、問題意識を共有できる仲間とのつながりにさらに力を入れるようになり、KNTを結成した。核兵器を巡る問題は、被爆地にゆかりのある人だけではなく多くの人に関わる。だから、団体名はあえて被爆地を冠さず「トーキョー」とした。

  ≪活動の原点には、反核平和運動をけん引してきた森滝春子さんや、広島県被団協理事長だった故坪井直さんたち、盈進中高(福山市)ヒューマンライツ部の活動で出会った人の存在がある。≫
 中学1年で入部して間もなく、森滝さんの講演を聴いた。劣化ウラン弾など難しい話が多く、正直、当時の僕は話の9割が分からなかった。ただ、残りの1割で分かったのが、社会の不条理に対して命を懸けて行動している人がいること。僕は小学生の頃、いじめに遭った。歯を食いしばって学校に行った時期もあり、不条理は看過できない。だから、森滝さんの生き方、言葉は僕の心に灯をともし、突き動かすスタート地点となった。

 部活動で半生を聞き取った坪井さんの存在も大きい。坪井さんは、いつも背筋を伸ばしてパワフルだった。でも、被爆者であるため結婚差別を受けて自ら命を絶とうとした経験を話した時にはすごく小さくなって涙をぽろぽろ流した。核兵器が癒えることのない苦しみを与えることを、自らの痛みをさらけだして教えてくれた。

 今の僕がいるのは、メッセージを託してくれた人たちがいたからこそ。一方で、国内外には核兵器に頼り続ける為政者もいる。こうした為政者が無責任にも残そうとする負の遺産を背負うのは僕たち。だから、僕は行動する。それが、大切なことを教えてくれた人たちに対する感謝だから。(小林可奈)

批准国拡大に若者尽力

 核兵器廃絶を目指す運動や核兵器禁止条約の制定、同条約の批准国拡大には、日本の若者たちも尽力してきた。

 2008年からは、広島の中高生たちが、核兵器廃絶を訴える署名活動「核廃絶!ヒロシマ・中高生による署名キャンペーン」を続けている。これまでに約64万筆(21年10月時点)を集めた。平和首長会議(会長・松井一実広島市長)を通じて国連に届けている。

 平和首長会議は核拡散防止条約(NPT)の再検討会議や同会議の準備委員会の開催地に、広島の高校生を派遣。若者たちは、それぞれの取り組みを発表する「ユースフォーラム」に参加し、被爆国の声を直接世界に届けてきた。

 「核兵器のない世界」の実現をライフワークに掲げる岸田文雄首相(広島1区)は外相時代の13年、被爆の実態の継承などを目的に「ユース非核特使」を創設した。ノーニュークストーキョーの高橋さんは特使の任命を受けて第1回締約国会議があるオーストリア・ウィーンに赴く。

 広島の若者たちでつくる「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)などは締約国会議初日の21日、ウィーンと広島をインターネットで結び、同会議が開かれている現地の報告などをする。ウィーンでは「若者締約国会議」も予定されており、各国の同世代の連携を強める機会となりそうだ。

(2022年6月18日朝刊掲載)

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