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社説・コラム

『想』 高垣慶太(たかがきけいた) 核禁条約への希望

 核兵器禁止条約(TPNW)の第1回締約国会議が今月開かれる。ウクライナ紛争を機に核兵器の使用が懸念される今、条約に希望を託す。

 私は広島で生まれ育ち、崇徳高(広島市西区)新聞部で原爆報道に打ち込んだ。曽祖父2人がヒロシマとナガサキで原爆救護に携わる医師だった身として、核兵器の存在は「絶対悪」。安全保障環境や国際情勢が変わっても、それだけは譲れない。

 広島の曽祖父は、原爆投下直後に住吉橋(現中区)の救護テントで治療に当たった。すぐに薬が尽き、命の選別をせざるを得なかったという。長崎の曽祖父は、長崎医科大(現長崎大医学部)の校庭で救護活動をし、患者が次々と息絶える光景を目の当たりにした。彼らにとって核兵器の使用による結末は、この世の地獄だっただろう。

 曽祖父たちの思いを胸に、進学先の東京で核兵器廃絶活動に取り組んでいる。一つが赤十字国際委員会(ICRC)のボランティア。ICRCは、武力紛争などで犠牲を強いられる世界各地の人々の保護や支援をしている。ウクライナでも同様の活動を続ける人道支援組織だ。被爆後の広島にも駆け付け、被爆者支援のため大量の医療物資を輸送した。以後、国際社会へ核兵器の非人道性を繰り返し訴え、TPNW誕生にも貢献した。

 「原爆救護」を土台に持つ私は、人道的な側面から核兵器の廃絶を訴えるICRCの姿勢に大いに共感する。昨年は、駐日代表の広島訪問や、東京の第五福竜丸展示館で実施した「日本の若者が核兵器と気候危機を考える作戦会議」(ICRCのホームページに掲載)の企画にも携わった。「できることには限りがあるが、できることから始めよう」。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の高等弁務官を務めた故・緒方貞子さんの言葉だ。誰もが安心して暮らせる社会を実現するために、一人一人にできることがある。

 私は核兵器のない世界を生きたい。だから今、できることに一心の真(まこと)を込める。(大学生)

(2022年6月2日セレクト朝刊掲載)

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