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社説・コラム

『想』 豊嶋起久子(てしまきくこ) 和を以て貴しと為す

 厳島に伝わる毛利氏からの能楽文化を伝えた先祖らは、才能豊かに技を継承した。明治維新に大正デモクラシー、昭和の戦争と原爆、時代に翻弄(ほんろう)されながら16世紀から続く家名・弥左衛門を名乗った大伯父は、金剛流シテ方として広島県初の人間国宝であった。私は孫世代、東京芸術大から渡欧してオペラを歌い、重要無形文化財保持者の兄は金剛流シテ方の能楽師だ。

 祖父が原爆を語ったのは、丸木位里、俊夫妻が描いた絵本との出合いからだ。祖父は地獄絵図といわれた広島へ、弟らと庭の土の下へ隠した能衣装を捜しに入った。その光景と弟への想(おも)い、どれだけ尊く愛情に満ちていたことか。命を紡ぎ出すように伝え、私たちは心の襞(ひだ)にそれを織り込めた、隔世伝承だ。私は現在、広島市の被爆体験伝承者育成研修で学んでいる。

 2020年、セルビア国立歌劇場独立100年記念日「蝶々夫人」に招待され、初めて明治天皇時代の国際交流を知った。古都チェコ・プラハでは、広島と縁の深い建築家ヤン・レツルの産業奨励館と同じ設計の建物を見た。壊れていない「ドーム」がプラハにはまだある。彼の故郷だ! 広島の悲劇を心得ていればこそ、あの風景との再会に精神を揺さぶられた。

 昨年、実家で古書を干していた。江戸時代からの書や能会番組が新たに顔を出した。広島県立文書館に一部寄贈し、豊嶋家文書となった。先祖は神職、宮大工として厳島に奉仕、毛利、福島、浅野各氏の能楽に縁が深い。毛利氏が能を始めて以降、島の中で身に付けた高安流(長命家が名前分けをいただく)、元となる金剛流(座)、その流れを汲(く)む喜多流の能楽継承と発展に寄与、古(いにしえ)より厳島文明を支え陰の一葉となってきた。

 平清盛より伝わる厳島神社の舞楽、1月5日の抜頭(ばとう)を拝見すると四天王寺、聖徳太子の文明ロードまで浮き上がる。「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」。難に打ち勝つ不屈の精神だ。なるほど古の和とは国際的な文化芸術の融合、ドームは結束や理想を象徴してきたのだろう。(ソプラノ歌手・北九州市文化大使)

(2022年6月1日セレクト朝刊掲載)

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