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社説・コラム

『想』 西本恵(にしもと・めぐむ) 妥協許さぬ名将の軌跡

 カープ黄金期を率いた名将古葉竹識さんが亡くなられた。偶然にも報道公開された昨年11月16日、「想」の寄稿依頼をいただいた。その瞬間、古葉さんを取材した時の取材メモをあさった。初代監督である「石本秀一伝―日本野球を創った男」(講談社)を記す上で直接指導を受けられた古葉さんから話を聞きたいと、平成26年9月17日、品川プリンスホテル別館の喫茶で待ち合わせた。ところが、待てども暮らせども古葉さんが現れない。40分を超えたので「ええい」と電話した。「あれっ、明日じゃなかった?」と古葉さんの言葉に拍子抜けした。翌日、「いや~、すまんね。昼ご飯を一緒にどう」と言われ、夫人から「必ず食事を一緒に」と言われたらしく、3時間に及ぶ話を会食しながら聞いた。

 黄金期の信条として「絶対妥協しなかった」と語られた。巨人や中日などと優勝争いをしながらも投手陣や各ポジション、打順など他球団との戦力を徹底比較、劣っているならただちに補強を促していたと明かされた。

 プロ入りに際しては、在籍していた日鉄二瀬の濃人渉監督から「白石のところがエエ」と言われた。戦力の乏しさゆえ試合に出続けられると睨(にら)んでカープ入り。直後から遊撃を守り、右中間に飛んだ打球でさえ中継に走り、強肩を生かして出続けたという。残念な話は昭和60年、カープを去られる年、キャンプから采配に微妙な変化が生じたことも語られた。さらに石本監督時代の経済的に困窮した頃の話になると「球団草創期の先輩方のおかげで今のカープがある」と繰り返し語られた。

 草創期の逸話はホームページ上で「カープの考古学」としての連載機会をいただき、執筆している。傍らでは原爆からの復興期、連合国軍占領下における、カープ誕生の起源から研究したいと昨年4月から広島大学大学院人間社会科学研究科に籍をいただき、論文執筆に励んでいる。古葉さんはじめ、困窮した草創期の先達らへの恩返しになるなら幸いだ。妥協は許されまい、カープOB戦を前に想(おも)う。(ライター)

(2022年2月4日セレクト朝刊掲載)

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