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社説・コラム

『想』 谷本秀康(たにもと・ひでやす) 通訳と私

 英語を学び始めて58年、通訳の現場に立って50年、英語教育に携わって44年になる。「光陰矢の如(ごと)し」を実感している今日この頃だが、現在も大学や語学学校などの教育現場に立って1週間10クラス(1クラス90~100分)程度の英語の授業をこなしている。

 近年は通訳者としての仕事はめっきり減った。特に同時通訳の仕事依頼に関しては、脳の瞬発力が要求されるので体力的にも精神的にも限界を感じて、お断りすることが多くなった。

 日本語と英語とは文構造が非常に違うのでメモを取った後で通訳する逐次通訳とは異なり、同時通訳は困難を極める。通訳技術を指導するクラスではシステマティックな指導法に従って基礎から忍耐強く積み上げていく丁寧な指導が求められる。英語だけでなく日本語の運用能力も必要なので、英語に堪能な帰国子女が、一朝一夕にプロの通訳者になれるわけではない。

 また、言葉には辞書的意味に加えて社会的文化的意味があることを忘れてはならない。例えば「お金を湯水のように使う」は英語で“spend money like water”と表現するのだが、国際会議で砂漠の多い地域からの参加者には誤解される可能性がある。彼らにとって「水」は貴重な天然資源であり、お金を湯水のように使う行為の社会的文化的意味は、「浪費」ではなく「節約」だからだ。この場合には “spend money unsparingly”と英訳すれば誤解を回避できる。

 もう一つ忘れがちなことが一般常識と専門分野の幅広い知識だ。「戦略核兵器」と「戦術核兵器」の違いだけでなく、原爆語り部の体験談に頻繁に登場する「傷口に蛆(うじ)がわいた」や「ヨモギを煎じて飲んだ」などの表現を即座に適切な英語表現に置き換えることのできる知識と能力が要求される。通訳者たる者は新聞やテレビのニュースに日常的に触れることで国際情勢や、時事的なトピックに関する知識も深めておくことが肝心である。生涯現役でいたいものだ。(同時通訳者)

(2022年2月2日セレクト朝刊掲載)

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