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連載・特集

核兵器禁止条約 第1回締約国会議を終えて <上>

 核兵器の製造や保有などを全面禁止した核兵器禁止条約の第1回締約国会議が21~23日、オーストリア・ウィーンで開かれた。ロシアのウクライナ侵攻で核兵器使用のリスクが高まる中、会議は被爆者たちが核兵器の非人道性を訴える貴重な場となった。一方、核抑止に依存する核兵器保有国とその同盟国の大半は出席を見送った。3日間の会議を振り返り、成果や課題を報告する。(小林可奈)

被爆者や若者 存在感

不参加の政府と対照的

 「核兵器と気候危機という負の遺産を、未来の世代に残してはいけない」。締約国会議2日目の22日、白梅学園短大1年の奥野華子さん(20)=広島市中区出身=が英語で力強く演説した。条約制定に尽力した赤十字国際委員会(ICRC)のユース代表として出席。核兵器は回復が難しい破壊を地球に与える―。そう警鐘を鳴らすと、各国の代表から拍手が湧いた。

 スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんに賛同し、気候変動対策に取り組んできた奥野さん。「多くの仲間が海外にいると分かり、とても勇気づけられた。市民活動から核兵器の廃絶に貢献したい」と振り返った。

証言を聞き涙も

 会議が開かれたウィーンの会場や関連イベントでは日本から渡った若者の姿が目立った。各国の非政府組織(NGO)のメンバーたちの前で演説したり、被爆者の体験を通訳したり。現地と日本をインターネットでつないで会議の意義や内容を紹介する活動も活発だった。

 会議に先立ち、NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))が開いたフォーラムには、核兵器廃絶を目指して活動する若者グループ「ノーニュークストーキョー」共同代表の高橋悠太さん(21)=福山市出身=と、広島で被爆した日本被団協代表理事の家島昌志さん(80)=東京=がそろって参加した。

 3歳の時、牛田町(現広島市東区)の自宅で被爆した家島さんは、爆風で飛び散ったガラスが体中に刺さり、ハリネズミのようになった母親の姿などを説明。核兵器使用を示唆したロシアを批判した。聴衆の中には涙を浮かべる人もいた。

 初めて被爆証言を聞いたドイツ出身の大学院生ミシェル・ベンツィンさん(25)は「核兵器がもたらす被害の実態を知る上で、貴重な経験になった」と語った。別の被爆者が演説した締約国会議も見守った高橋さんは、被爆者の高齢化を踏まえ「こういう場をもっとつくっていきたい」と決意していた。

「価値ある貢献」

 核兵器禁止条約は核兵器の非保有国の政府だけでなく、被爆者や非政府組織の尽力で制定された。締約国会議で採択されたウィーン宣言は被爆者たちについて「価値ある貢献をしてきた」と記し、今後も協力していく姿勢を打ち出した。同時採択した行動計画も市民社会との連携をうたった。

 条約の具体像を形作る場で被爆者が大きな存在感を放ち、日本の若者たちは核兵器の非人道性を訴えた。対照的に際立ったのが、核兵器保有国と非保有国の橋渡し役を掲げ、核兵器廃絶を目標とする日本政府の不在だった。米国の「核の傘」に依存する日本は条約を批准せず、会議のオブザーバー参加を見送った。

 「活動を引き継いでくれる若者が希望だ」。家島さんは会議への参加を振り返り言葉をつないだ。「一歩を踏み出せない日本政府がもどかしい。若者とともに核兵器のない世界の実現を国際社会に訴え続けたい」

(2022年6月30日朝刊掲載)

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