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連載・特集

緑地帯 村中李衣 絵本の読みあい あっちそっち①

 気づけばもう40年以上、いろんな人といろんな場所で絵本を読みあってきた。

 ここらでちょっと身近な人と読みあいをしようと夫を誘った。「はあ?」といぶかるが「いいからいいから」と台所椅子に座らせ「おちゃのじかんにきたとら」(童話館出版)を読んだ。母娘のティータイムに突然現れた虎が、家にあるありったけの食料を食べ尽くしてしまう。けれど、何もなくなった家に戻ってきた父親は「おとうさんにまかせなさい」と家族3人でレストランに出かけ、決して豪華ではないけれどしあわせなひとときを過ごすというお話。

 黙って最後まで絵本の画面を見つめていた夫は「なんでこの絵本をおれに読もうと思ったんだ?」とぽつり。実は彼の愛称は「とらさん」なのだ。「おれはこやつほどくいしんぼうじゃない」と不満げ。

 「作者はナチスの手を逃れて家族と共にドイツを離れスイス、フランス、イギリスと移り住んだ経験があるの」と答えると、「そうか、どんな略奪をしようと平和を愛する家族の心の砦(とりで)まで奪うことはできないってことか。うちのとらはやさしくてよかったな」といいながら、裏表紙に娘のたどたどしいひらがなサインをみつけ「おっ」と愛(いと)おしそうにその文字を一つずつ指でなぞった。

 娘がサインした理由は、当時惜しみなく虎に差し出される食べ物があまりにおいしそうで好きだったからだが、絵本はどんな読みも、どんな楽しみ方も許容してくれる。力にものを言わせ奪い取ることだけに躍起になっている権力者に、今こそ読んでほしい一冊でもある。(むらなか・りえ 児童文学作家=岡山市)

(2022年7月2日朝刊掲載)

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