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社説・コラム

『想』 永山哲弘(ながやま・てつひろ) 尖閣の防人(さきもり)を想(おも)う

 広島湾に浮かぶ「似島」を少し高い岩山にしたら尖閣諸島・魚釣島に似てきます。

 私は呉市にある海上保安大学校に入校して約40年、そして4年前海上保安庁を退職、広島に帰って来ました。そして似島を眺めると思い出します。7年前私は尖閣警備の巡視船隊の指揮船船長として赴任しました。当時中国公船隊(現在の海警船隊)は、巡視船隊が尖閣諸島を24時間周回警備するその外側を航行しながら、虎視眈々(たんたん)と侵入する機会をうかがっている状況でした。侵入する方は時を選べますが、防ぐ方は常時緊張を強いられます。また台風等接近時は最後まで残り、通過直後の時化(しけ)の中、早々に配備に戻りました。当時、乗員は若者も多く、はるか沖合の孤島で、好きなこともできずに、このような過酷な状況下、黙々と任務に当たる姿が強く目に焼き付いています。

 尖閣対応については、いろいろな意見が出され、威勢のいい声も聞こえてきますが、現場海上保安官は、法律と国際法に則(のっと)り「冷静かつ毅然(きぜん)と」対応することに徹していました。万一事案発生の時は、映像や音声が証拠として記録され、リアルタイムで東京に送られ、違法行為が迅速に各国に伝えられ、国際的に大きな批判と取り返しのつかない国際的信用の失墜という代償を払わされること。そして最後は、国が、国際社会が動きだすこと。それまではどんなことがあろうとも現場で耐え持ちこたえる。そのことが突発的衝突から戦争という悲劇を抑止するわれわれ警察機関の任務であるとの信念を持っていました。

 本庁から石垣島でヘリに乗り換え、尖閣沖合の巡視船に18年ぶりに船長として着船・着任し、1年後、またヘリで離船・離任しました。最後にヘリ機長の計らいで船の上空を2旋回してくれ、見送りの帽子を振る多くの乗員の姿に胸がいっぱいになりました。必死に頑張っている巡視船乗員たちの思いを伝えたい、その思いを、平和発信の地、広島でこの欄を借りて実現できたことは私の一つのけじめともなったような気がします。(瀬戸内海海上安全協会専務理事)

(2022年1月21日セレクト朝刊掲載)

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