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連載・特集

緑地帯 村中李衣 絵本の読みあい あっちそっち⑤

 施設に入所している父の所に「おおおかさばき」(クレヨンハウス)を持って行った。元気な頃の父は仕事漬けで、娘としみじみ言葉を交わすなど大の苦手だった。いざたっぷり時間がある毎日となってみると、今度は会話のネタがない。常に母親への指示命令に終始してきた父が、見舞いに行くたび「ありがとう」「金が必要ならわしが払うから」と弱気なせりふを連発する。それが切なくて笑える落語絵本を持ち込んだというわけだ。

 大工吉五郎が落とした財布を左官の金太郎が拾ったことで中身の3両を返す・いや受け取れないの争いになる。2人とも意地の張り合いで決着がつかぬため、奉行所で大岡越前守の名裁きとなる。

 ここまでのくだりを「ほうほう」とうなずきながら聴いていた父。

 問題の3両に大岡越前守が1両差し出して全部で4両にして、2両ずつに分配し、越前守も加わった三方1両ずつの損という裁きにも「なるほどなるほど」とうなずく。

 読み終わって「この裁きどうだった?」と聞くと「ご立派」の一言。

 実は15年前この絵本が出版された直後に父に読んだことがあった。そのとき父は同じ場面で「越前守が出した1両は自分のポケットマネーか? 公金なら税金の恣意(しい)的利用にあたるぞ」と文句を言っていた。歳を重ね「あり得ない」と合理的判断をするよりも、人情噺(ばなし)を受容することで自分の人生の棘(とげ)を抜いていくかのような父に胸がきゅんとなった。

 と思いきや、最後に「父さんが越前守だったら1両出す?」と聞いたら、「出さん」ときっぱり。

 91歳、まだまだこれから。 (児童文学作家・ノートルダム清心女子大教授=岡山市)

(2022年7月8日朝刊掲載)

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