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「あの日」詠み続ける 呉の梶山さん 歌集3冊目出版 亡き友を供養

 歌人で、被爆体験を証言している梶山雅子さん(80)=呉市神原町=が、3冊目の歌集「白色白光(びゃくしきびゃっこう)」を自費出版した。広島に落とされた原爆で女学校時代の多くの同級生を亡くした記憶が、歌を詠む動機にもなっている梶山さん。「あの日を伝えることが友への供養」と信じ、仏教を寄る辺に、ペンを握り続けている。(伊東雅之)

 「『いつまでも友達でゐたい』被爆死の友は悲しき日記遺して」

 「『郁ちやん』の息絶えにけむ川原まで降りゆく岩岐(がんぎ)の一段二段」

 ここ9年間の545首を収めたこの第3歌集には、過去の2冊と同様、梶山さんが通った広島県立広島第一高等女学校(現皆実高)時代の同級生のことが頻繁に出てくる。

 1945年4月、同校に入学。4カ月後、広島市中心部で建物疎開の作業中だった同級生223人が原爆でこの世を去った。病気療養のためこの日、欠席していた梶山さんは、一命を取り留めたものの、その後の人生に重くのしかかった。友人のほとんどを亡くしたショック、悲しみ、生き残ったことへの負い目…。「決して癒やされるものではなく、年を重ねるほど、鮮明に思い出されるのです」

 そんな梶山さんの心を慰めてくれたのが女学校の入学直後に学んだ和歌だった。万葉の時代から伝わる響きに心奪われ、被爆後は亡き友を思い出す形見のようにも感じられた。

 終戦後、短歌を詠み始めた。新制高校や大学で触れたこと、小中学校での教師生活、結婚…。身の回りの出来事や日々の生活の断片を題材にした。こだわり続けたのは、亡き友であり、彼女たちの命を奪った「あの日」の出来事だった。

 「友人を思い出し、今も眠れないことがある。母校の慰霊祭で、冷たい視線を浴びたことも。でも、書かないと気持ちも治まらない」と話す。

 書きためた作品を還暦の翌年、第1歌集にまとめ出版した。喜寿を超し第2集も。傘寿となって出したこの歌集は、仏教が題材の作品も多く含まれる。

 「亡き母の眼鏡に覗く『正信偈(しょうしんげ)』あはれおぼろに帰命無量寿如来」

 幼い頃から敬虔(けいけん)な浄土真宗の家庭に育ち、「正信偈」「仏説阿弥陀経(あみだきょう)」など真宗にまつわる偈文や経文に親しんできた梶山さん。今回の歌集名にした「白色白光」も阿弥陀経の一節から借りた。

 「今の私にとり、女学校時代はお浄土の清らかな『白色白光』のイメージ」。浄土で皆に再会する願いも込めている。一方、自己嫌悪にさいなまれる中、仏教の教えに支えられたことも限りない。「生かされている」と考えられるようになったのも、その一つだという。「時がたつにつれ、人々の記憶からあの日が薄れる中、伝え続けることが残った者の役目であり、供養だと思います」

 「白色白光」は京都カルチャー出版刊。A5判、238ページ。2800円。

(2013年11月18日朝刊掲載)

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