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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 科学と戦争 負の教訓 未来のため直視を 神奈川大名誉教授 常石敬一さん

 神奈川大名誉教授の常石敬一さん(78)は、毒ガス製造や核開発といった軍事と科学技術の関わりに迫り、厳しく検証を重ねてきた科学史家である。丹念な調査で旧日本軍の細菌戦部隊(731部隊)の実像を暴いたことでも知られ、先ごろ「731部隊全史」(高文研)をまとめた。ロシアのウクライナ侵攻で核兵器使用が取り沙汰される中、科学の歴史から私たちは何を学べるのか、考えを聞いた。(ヒロシマ平和メディアセンター・森田裕美、写真も)

 ―40年以上にわたる部隊研究の集大成ですね。
 執筆のきっかけは、2015年に防衛省が大学などに対し、軍事応用できる基礎研究を対象に助成制度を始めたことです。これは軍事研究への誘導であり、その問題点を「731部隊」を取り上げることで訴えたいと思いました。

 ―かつて旧満州(中国東北部)で、細菌戦に向け生物兵器を研究開発した部隊です。
 膨大な予算がつぎ込まれ、通常では到底認められない非人道的な研究に手を染めました。生体解剖や人体実験などです。

 私は、戦後の米国による調査や旧ソ連が関係者を戦犯として裁いた際の資料など国内外の文献を検証し、数十人に及ぶ関係者への聞き取りで実証してきました。しかし政府は今も細菌戦の証拠はないとの見解です。

 とんでもないことをやったのに検証もなく前に進むのは違うでしょうと言いたかった。部隊に関わった幹部らは戦後も責任を問われることなく、医学界の権威になった人さえいます。

  ―軍事研究にはどんな問題がありますか。
 731部隊の歴史を見れば明らかですが、秘密保持のためまっとうな手続きを踏まなくなる。機関決定を経ず、責任の所在があいまいなまま肥大化し、暴走します。成果への圧力から科学者の視野は狭くなり、非軍事の研究まで駄目にします。

  ―科学者の士気や良心を保つのが難しそうです。
 科学者は社会に対する責任がある。それを忘れて非人道的実験にまい進したのが、731部隊の医学者たちです。部隊長だった石井四郎は、部下が人体実験などに疑問を持たずに精を出す仕組みを作り上げました。

  ―どんな仕組みですか。
 分業です。科学者は歯車の一つとなり、例えば人体実験に使うダニ集めやそのすりつぶしに没頭する。自分が関わる部分だけに目を向け全体像が見えなくなると、自らの行為に罪悪感を抱きにくい。科学者は犯罪的なことに加担していないか常に全体を見渡す必要があります。科学研究の基本は自由と公開ですが、軍事研究は機密を理由に隠蔽(いんぺい)します。科学の名の下に人を殺傷する自由などないことを忘れてはなりません。

  ―軍事研究が生んだ原爆は広島・長崎で多くの命を奪いました。歴史の教訓のはずですが、ロシアは核兵器使用をちらつかせています。
 核を脅しの道具にし、ベラルーシに核弾頭搭載可能な戦術ミサイルを供与するともいう。ウクライナにある欧州最大級のザポロジエ原発も占拠している。こうした状況から考えると、日本は国土を核弾頭で取り囲んでいるようなもので、危険と隣り合わせ。私たちが現実をどう捉えるかも問われています。

  ―ロシアは、ウクライナで米国が生物兵器開発に関わっていると主張しました。侵攻を正当化するための偽情報だと国際社会から猛非難されましたが。
 ロシアは生物兵器禁止条約に批准した後も研究を続けてきたことが、旧ソ連の研究者によって暴かれています。731部隊も当時、中国やソ連が使っているからわれわれも開発すると、うその主張をしていました。

  ―歴史は繰り返されますね。
 歴史というのは今を見るレンズだと言う人がいる。過去の事実を掘り起こすだけではなく、今につながる意味を読み解くのに必要なのです。歴史は全く同じことがそのまま繰り返されるわけではないが、手を替え品を替え繰り返される。だから歴史を知っていれば危険に気付くことができる。未来のために過去を直視することが必要です。

  つねいし・けいいち
 東京都生まれ。東京都立大理学部物理学科卒。長崎大教授などを経て、89~14年神奈川大教授。旧日本軍の「731部隊」や毒ガス開発などの実像に迫り、科学者が社会に果たすべき役割を問い続けてきた。ほかの著書に「消えた細菌戦部隊」「化学兵器犯罪」など。神奈川県大磯町在住。

■取材を終えて

 闘病中にもかかわらず、長時間インタビューに応じてもらった。責任の所在があいまいなまま回り出した歯車が止められないさまは東京電力福島第1原発事故やコロナ対策にも通じると常石さんは指摘していた。科学史から学ぶべき教訓は多い。

(2022年7月20日朝刊掲載)

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