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社説・コラム

天風録 『被爆建物の忘れ形見』

 森の木々には寿命が二つあるのかもしれない。切り倒された時と、人の世で果たしてきた役割を忘れられた時と―。取り壊された被爆建物の古材に、この人は新たな命を吹き込んでみせたのだろう▲没後10年の染色家杉谷冨代(すぎたにとみよ)さんの作品群が今月いっぱい、古里三原市の芸術文化センターに並ぶ。生誕100年にちなむ展示の白眉は「あの日」と題するオブジェ。被爆半世紀で解体された旧広島師範学校の木造体育館のマツ材を譲り受け、染めた▲森の精を思わせる、等身大に近い8枚の板には子どもの姿も見える。入市被爆者の杉谷さんは戦後、何度か命を宿しながら、ついぞ母親になれなかった。会えなかった「家族」への思いも伝わってくる▲会場で名刺大のカードを手渡された。〈今なお/繰り返されている悲劇の中で/家族が分断されることのない/平和を願って〉。湾岸戦争や9・11テロなどを念頭に置きつつ、「あの日」制作で込めていた祈りらしい▲今なら、ウクライナの家族に思いをはせる人も少なくあるまい。理不尽なロシアの侵略にさいなまれ続けている。杉谷さんの託した思いを胸に染める人がいる限り、カードのメッセージはきっと色あせない。

(2022年7月26日朝刊掲載)

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