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被服支廠 営み色濃く 軍服や写真 市民寄贈 広島県、報道に公開

 広島県は、最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(広島市南区)で検品されたとみられる軍服や、当時の様子を伝える写真、はがきの計5点を報道各社に公開した。いずれも市民が寄贈した。県は被服支廠の軍服が見つかるのは珍しく、貴重な資料としている。(河野揚)

 軍服はいずれも下士官用で、丈1メートルの外套(がいとう)と丈1・1メートルのマント。左胸の内側に、外套は「九八式 五號(ごう) 昭和十六年製 廣支検定」、マントは「昭和十七年製 廣支廠検定」とそれぞれ印字されている。

 県によると、「廣支廠検定」は外注品を被服支廠で検品したという意味とみられる。「九八式」は皇紀2598年(西暦1938年)式、「五號」はサイズ名と考えられるという。いずれも、歴史の伝承活動などをする松江市の本間順一さん(86)から寄贈された。

 写真1枚、はがき2枚は、広島市の男性(83)からの寄贈品。写真には、建物内のタイプライター室にいる男性の叔母や同僚が写っている。はがきはいずれも叔母宛てで、このうち1枚は被服支廠の寄宿舎で同室だった女性から届いたとみられる内容という。

 国の重要文化財への指定を目指す県が昨年12月~今年3月に資料を募集し、5点とも3月に寄贈を受けた。県は「被服支廠に関する資料が見つかれば、引き続き県に寄せてもらいたい」としている。

旧陸軍被服支廠(ししょう)
 旧陸軍の軍服や軍靴を製造していた施設。1913年完成で爆心地の南東2・7キロにある。原爆投下時は被爆者の臨時救護所となった。戦後は13棟のうち4棟がL字形に残り、民間企業の倉庫や広島大の学生寮として使われた。広島県が1~3号棟、国が4号棟を所有している。広島市が94年に被爆建物に登録。95年ごろから使われなくなり、築100年を超えた建物は劣化が進んでいる。

(2022年7月26日朝刊掲載)

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