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「核兵器のない世界を」 東京 原爆犠牲者追悼のつどい 広島で被爆 綿平さん初証言

 1歳9カ月の時に広島市で被爆した東京都練馬区の綿平敬三さん(78)が24日、都主催の「原爆犠牲者追悼のつどい」で初めて体験を語った。ウクライナに侵攻したロシアが核兵器による脅しを続ける中、家族を引き裂いた原爆の恐ろしさを伝え、核廃絶を訴えるべきだと考えた。

 葛飾区のホールに集まった被爆者や2世たち約120人に向け、母八重子さん(2010年に90歳で死去)から聞いた「あの日」とその後の日々を語った。

 原爆投下の直前、疎開先の三次市から母とともに広島駅に到着。西引御堂町(ひきみどうちょう)(現中区十日市町)の自宅に帰るため、タクシーを探していた時に被爆した。奇跡的に大きなけがはなかったが、父正二さんは爆心地から約800メートルで仕出し料理店を営んでいた自宅で亡くなった。

 被爆時、母は身ごもっていた。翌月生まれた弟の昇三さんは1948年8月、3歳を迎えることなく息を引き取った。家計を支えるため、八重子さんは職を求めて県内外を転々。綿平さんは5歳から離ればなれで暮らし、後に炭焼きなどで生活費を稼ぎ高校を出た。

 父や弟の顔は記憶になく形見もない。ロシアの振る舞いを見て、再び核兵器が使われないよう自分も証言すべきだと考えた。綿平さんはこう締めくくった。「私たちのような家族をつくらないため、核兵器のない世界の実現を願います」(口元惇矢)

(2022年7月26日朝刊掲載)

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