×

ニュース

後輩に託す 平和への思い 旧吉田高等女学校出身の中島さん  母校で初めて証言

原爆負傷者を救護 水あげられず後悔

 平和への思いを若き後輩に託した。安芸高田市吉田町の旧吉田高等女学校(現吉田高)出身の中島初江さん(90)=広島市中区=が20日、卒業後初めて母校を訪ね、原爆投下で負傷者の救護に当たった当時の体験を全校生徒約300人に語った。「水、水…」。今もその時のことが胸に残るという。これまで証言活動の経験はないが、ロシアのウクライナ侵攻で危機的な世界情勢が、「8・6」を前に奮い立たせた。(胡子洋)

 八千代町で生まれ育った中島さんは1945年、女学校に入学し、吉田町に下宿した。当時13歳。鉢巻き姿で竹やりの訓練もあった。あの日、校庭での朝礼中、「すごい風が吹いて、砂ぼこりも。きのこ雲も見えました」。山の麓に逃げ隠れた。ただその時は広島に原爆が投下されたとは分からなかったという。

 翌日は変わらず農作業をした。8日、近くの吉田小に負傷者が次々運び込まれた。「焼けただれた人が横たわり、あわれでした」。救護に当たると、1人の少女が水を欲しがった。周りの人に「あげたら死ぬよ」と言われて従った。次の日、その場には誰もいなかった。「飲ませてあげれば良かったなって。あの声がずっと耳に残ってる」

 ロシアのウクライナ侵攻に心を痛め、4月に中国新聞の読者投稿欄「広場」に当時の記憶をしたためて寄せた。紙面を見た吉田高の教職員が中島さんに連絡を取り、講演を頼んだ。1人暮らしの中島さんは高齢で不安もあったが、「今しかない」と引き受けた。

 各教室をオンラインでつないだ講演会で、中島さんは最後にこう伝えた。「核兵器の使用はもってのほか。まずは隣の人と仲良くし、その輪を広げて。そして賢く自分で判断できる人になってください」

 3年春元結衣さん(17)は「想像できないほどつらい思いをされたのでしょう。身近な仲良しの輪が広がれば、きっと世界平和につながる。何げなく過ごせている今の学校生活が何よりもありがたい」と、先輩の言葉をしっかり受け止めた。

(2022年7月22日朝刊掲載)

年別アーカイブ