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社説・コラム

『想』 益田崇教(ますだたかのり) 時空を超えて原風景へ

 私は戦前から被爆直後にかけての広島市の歴史に関する資料を収集しています。そして郷土史関係の施設などで活用していただいています。収集の動機は単に郷土史に興味がある、というだけではありません。私にとっての、言ってみれば原風景をたどる旅でもあるからです。

 私のコレクションの中で一番多いのは絵はがきです。そこには当時の広島の街並みや人々の暮らし、風俗、時代背景などが写し込まれています。原爆で壊滅する前の様子を今に伝える貴重な資料です。しかし私にとっては、歴史のかなたの世界というよりも、懐かしさと親しみを感じる世界でもあるのです。

 私の母の家は西引御堂町(現在の中区十日市町)にありました。原爆で母以外の家族が全滅するまで、この地で暮らしていました。私の親族にとって、絵はがきに残されている広島の街は日常の風景でした。もちろん私は、祖父母をはじめとする、その人たちには会えませんでした。しかし絵はがきの風景に親族の姿を投影すると、身近な世界に見えてきます。例えば祖父は明治36(1903)年の生まれです。今は平和記念公園になっている中島地区が、祖父の幼少時には広島で一番の繁華街でした。きっと家族や友達と一緒に出かけていたことでしょう。

 9歳の時に市内電車が開通。12歳の時に元安川に面して広島県物産陳列館という名の、それまで見たことがない立派な洋風の建物ができました。現在の原爆ドームです。祖父は物珍しさから建築の様子を度々見物しに行ったのではと想像します。祖父が26歳の時、初めての百貨店・福屋が開業。市内電車も走れる新しい相生橋の完成が29歳の時。祖父の人生は広島市の近代化の歩みとともにありました。そして原爆投下。広島の街が壊滅するのと同時に、祖父の人生も終焉(しゅうえん)しました。戦後も存命であれば、いろんな貴重な話が聞けたのではないかと思います。

 それはかないませんが、絵はがきを通じて、祖父たちが生きた世界を追体験するのは、無念の死を遂げた親族への供養でもあるのです。(郷土史家)

(2022年7月22日セレクト朝刊掲載)

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