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連載・特集

被爆77年 家族の記憶 <3> 母の無念 しっかり話す

新制度 伝承の幅広がる

 「遺骨の代わりに国からいただきました」。6月中旬の原爆資料館(広島市中区)での伝承講話。市認定の被爆体験伝承者である水野隆則さん(64)=安佐北区=が勲章の入った小箱を聴講者に示した。勲章は33歳で被爆死した母方の祖母義子さんに国から贈られた。水野さんの母昭子さん(89)に残された唯一の「遺品」だ。

 義子さんは、地域ごとに組織された国民義勇隊の班長を務め、爆心地から約1キロで建物疎開の作業中に被爆したとみられている。遺骨などは見つかっていない。

□契機

 「これがお母ちゃんの代わりじゃあね…。さみしいね。情けないね」。10年前、たんすの奥の勲章を見つけた水野さんに、昭子さんは厳しい表情で話した。

 「皆さんなら、これをもらって納得できますか」。水野さんは講話の際に必ずそう語りかける。母の無念そうな姿は、被爆者の体験を語り継ぐ被爆体験伝承者になるきっかけになったという。

 ただ、水野さんが原爆資料館で聴講者に語る45分間の講話のうち、家族の話は10分間程度にとどまる。被爆者の証言を第三者が受け継いで語るのが被爆体験伝承者の制度の趣旨だからだ。これまでは家族とは別の被爆者の体験をメインに据えるよう市から求められてきた。

 母の昭子さんは13歳の時、爆心地から4・1キロの草津本町で通学中に被爆した。たまたま、双子の妹といつもより一本早い広電宮島線に乗り、爆心から距離があった。電車から飛び降りた。通学先の広島実践高等女学校(現広島修道大協創中・高、西区)で家族を待ち続けた。水野さんはそんな話を短縮して紹介してきた。

 一方で聴講者には家族が被爆した事実への関心は高い。講話後に寄せられる質問や感想は、水野さんの家族に関することが少なくないという。「幼い時から聞かされてきた話。自分の感情がこもるからより伝わりやすいのかもしれません」。水野さんはそう推し量る。

□転機

 そんな中、転機が訪れた。広島市が2022年度、家族の被爆体験を語り継ぐ「家族伝承者」の養成をスタートさせた。水野さんも応募し、7月に研修が始まった。認定を受けて24年度に活動が始まれば、母の話を中心に話すことになる。

 水野さんが幼い頃から昭子さんは少しずつ体験を語ってきた。被爆体験伝承者になってからは、水野さんがしぶる昭子さんに積極的に尋ねてきた。兄が迎えに来るまで不安で胸が張り裂けそうだった学校での2日間、いくつもの死体が川に浮き、ワカメのように揺れる髪の毛、結局母義子さんは戻ってこなかったこと…。最近になって詳細が分かったこともある。

 水野さんの親族は、両親を含めて7人が直接被爆した。その中で自身やほかの家族の様子を語ったのは母だけだった。市内の原爆養護ホームに入居して語り部も務めた母は老いを重ねる。大切に、でも短縮して語ってきた母の体験を家族伝承者としてどうつなぐか。「原爆によって家族の人生は不条理に変えられた。語りたくても語れなかった親族や被爆者の思いも背負い、伝承を続けたい」(新山創)

(2022年7月29日朝刊掲載)

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