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李鍾根さんが死去 93歳 韓国人の被爆語る

 韓国原爆被害者対策特別委員会委員長の李鍾根(イ・ジョングン)さんが30日午前8時2分、盲腸がんのため広島市安佐南区の自宅で死去した。93歳。益田市出身。葬儀は家族で営む。喪主は長女森田静香(もりた・しずか)さん。

 広島鉄道局に勤めていた16歳の時、爆心地から約2キロの荒神橋近くで被爆し、重いやけどを負った。長く在日韓国人2世で被爆者という事実を隠していたが、2012年に参加した非政府組織(NGO)ピースボートによる航海旅行で被爆体験を語ったのをきっかけに、実名での証言を始めた。

 14年からは広島市の被爆証言者としても活動。自らの被爆や差別の経験を修学旅行生たちに語り、核兵器廃絶などを訴えた。

 19年に同特別委の委員長に就任。同特別委を含む広島の被爆者7団体による首相への要望では、在外被爆者へのきめ細かい支援などを訴えた。

差別許さぬ温厚な人 李鍾根さん死去 被爆者ら惜しむ

 在日韓国人被爆者として核兵器や差別がもたらす悲劇を語ってきた韓国原爆被害者対策特別委員会委員長の李鍾根(イ・ジョングン)さんが30日に亡くなり、活動を共にしてきた関係者からは惜しむ声が上がった。

 在日韓国人や被爆者であることを隠してきた李さんが自らの被爆体験を語り始めたのは2012年。非政府組織(NGO)ピースボートによる航海旅行に参加し初めて証言をした後、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部の豊永恵三郎世話人(86)の勧めで地元でも証言活動を始めた。

 子どもたちに自身の被爆や日本社会の中で受けてきた差別の経験を話し、核兵器や差別をなくすよう望んだ。豊永さんは「温厚で生真面目な人柄。子どもたちには難しい話でも、李さんが語るから伝わるものがあった」と振り返る。

 同特別委の委員長には19年に就任。8月5日の韓国人原爆犠牲者慰霊祭と、同6日の被爆者7団体による首相要望には今年も参加する予定だった。権俊五(クォン・ジュノ)副委員長(73)は「『6日までは元気でいるよ』と言ってくれていたのに。誰からも親しまれる人でまだ元気でいてほしかった」と残念がった。

 県朝鮮人被爆者協議会の金鎮湖(キム・ジノ)会長(76)は、今なお支援が届かない在朝被爆者の存在について「共に心を痛めてくれた人だった。被爆者、人間の先輩として、敬意を抱いていた」と故人をしのんだ。(明知隼二)

(2022年7月31日朝刊掲載)

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