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連合赤軍事件 ある女性兵士の実像 女性史研究者・江刺昭子さんが新著

一歩引いて考えるきっかけに

 社会を震え上がらせた1971~72年の連合赤軍事件。群馬県などの山中で「総括」と称したリンチによって多くの仲間を殺害し、最後は長野県の「あさま山荘」に立てこもって警察との銃撃戦を繰り広げた。それから半世紀余り。広島市出身の女性史研究者江刺昭子さん(80)=横浜市=が「私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年」(写真・インパクト出版会)を刊行した。事件で命を落とした遠山美枝子(当時25歳)を追い、事件の深層に迫るノンフィクションだ。(森田裕美)

 彼女がなぜ非業の死を遂げなければならなかったか―。そんな問いを胸に、江刺さんは遠山の遺族や関係者らを丹念に取材。複雑な新左翼運動の構図を解きほぐしながら、時代の空気を描いた。

 遠山は女子の四年制大学進学率が5%にも満たなかった頃、企業に勤めながら明治大二部で学ぶ。学生運動が熱を帯びた時代。真面目で正義感の強い彼女もまた新しい世の中を夢見た。とはいえ、運動に入ったのは、失恋を経験し「強い人間になりたかった」から。後に連合赤軍を組織する赤軍派に加わったのも恋人がいたからだという。そうした生身の人間の姿を、江刺さんは遠山を知る人へのインタビューや書簡などで明らかにしていく。

 遠山の親友で5月に20年の刑期を終えて出所した重信房子・元日本赤軍最高幹部と、江刺さんがやりとりした手紙や、元赤軍派幹部だった夫への遠山の書簡も掲載。過激さや残虐性ばかりに目が向く事件の実情や、渦中にいた一人一人の実像が、浮かび上がってくる。

 一方、当時の運動が支配と服従のない自由平等な社会を掲げながら、内部に女性蔑視がはびこっていた現実を、江刺さんは見逃さない。特異な空間の中で、「女性兵士」たちが男性と同等に活動するため「女性であること」とどう折り合いをつけたかについてもジェンダーの視点から考察を試みる。

 本書執筆のきっかけは、江刺さんが編む神奈川ゆかりの女性のミニ評伝で同県出身の遠山を取り上げたことだった。

 明治の自由民権運動の時代から革命を志した女性たちの歩みがあるにもかかわらず、「連合赤軍事件は女性史分野でも無視されてきたように感じた」という。「彼女たちが目指した社会像や役割を負の教訓を含め記録として残していく必要がある」と考えた。

 「遠山美枝子を悲惨な被害者としての立場に封じ込め、なかったことのようにして忘れるのではなく、社会変革を志した一人の人間として捉え返したかった」と話す。

 タイトルの「私だったかもしれない」は、同世代の歌人道浦母都子さんの「私だったかもしれない永田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ」による。永田は連合赤軍事件の主犯格として死刑判決を受けた後、獄中で病死した人物である。

 自分は加害者あるいは被害者になっていたかもしれないという、運動に関わった人たちがたびたび口にする言葉。「その分かれ道は何か。それを考えることに意味がある」。そんな思いが込められている。

 「今の若い人は暴力を使って革命なんて想像できないと思う。一方で国家レベルでは戦争という暴力が続き、SNSでは相手をたたきのめすような言葉の暴力が存在する」と江刺さん。「そんな時、周囲に流されるのではなく一歩引いて考える材料になれば」

(2022年8月3日朝刊掲載)

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