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社説・コラム

天風録 『松本清張と戦争』

 母に焼夷(しょうい)弾が直撃、火だるまになって一緒に逃げた弟もやがて息を引き取る。1945年3月の大阪大空襲で九死に一生を得た女性の体験を読んだ。住んでいた浪速区は通天閣がある大阪の顔で、街のほとんどが壊滅した▲そんな惨状をトリックに仕立てたのが松本清張だ。名作「砂の器」。後に殺人を犯す作曲家は少年時代、浪速区の戸籍原簿が焼けたことを知り、架空の自分を届けて過去を消していた―。刑事の執念の捜査で明らかに▲執筆したのは終戦から15年のころ。戦災が身近な時代とはいえ、さほど知られていなかった都市空襲の現実を重要な伏線としたことに強い意志を感じる。戦後史の闇に切り込む「日本の黒い霧」も同時期の仕事だった▲ただ清張の小説を見渡すと戦争の惨禍をじかに表現するより、背景に据えた作品が目立つ。例えば自らの軍隊経験を映した「遠い接近」。戦地から戻り、広島に疎開した家族が原爆で全滅したと知った男の悲哀も描く▲時代の不条理に翻弄(ほんろう)されながら、必死に生きようとする人間のさが。不戦の叫びが声高になる戦後77年の夏、清張が言いたかったことを、じっくりと考えてみるのもいい。きょう没後30年になる。

(2022年8月4日朝刊掲載)

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