×

社説・コラム

『記者縦横』 貴重な医学資料 次代へ

■報道センター文化担当 桑島美帆

 60枚のスライドを用意し、緊張で固まりながらもなんとか発表を終えた。先月末、広島大医学部が主催した記念 講演会に登壇した時のことだ。「爆心地」として知られる島病院の先祖が集めた江戸-明治期の文献が、医学資料館(広島市南区)へ寄贈されたのに合わせ、約5年間の取材で得た発見や裏話を紹介した。

 広島の原爆を語る上で欠かせない島病院だが、もともと江戸後期に中野村(現安芸区)で開業している。地域で評判を呼び、財をなした島家が1933年8月、現在の中区大手町に外科病院を開き、77年前の8月6日、上空で原爆がさく裂した。当直医や看護師、患者たち約80人が犠牲になった。郊外へ出張していて無事だった故島薫院長は、当日市中へ戻り、救急治療に奔走する。

 貴重な物は戦禍を避けて中野村へ移していたのだろう。取材を重ねるうち、戦前の院内を捉えた写真や病院の設計図のほか、患者と医師、看護師らの死没者名簿など、「爆心地 島病院」を象徴する貴重な資料が次々と出てきた。資料の発見が次の資料を呼ぶ、そんな手応えがあった。その過程で旧医院跡の蔵から古文書も見つかった。取材をしていなければ蔵ごと処分されていた可能性がある。

 講演では、広島大文書館と連携しながら資料の価値を見極め、寄贈につながったことを強調した。一次資料があれば、瞬時にどの時代へも戻ることができる。消えてしまう前に救う網を広げなければ、と思う。

(2022年8月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ