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社説・コラム

社説 ヒロシマ77年 「核使うな」発信強めねば

 「運命の午前8時15分。強烈な閃光(せんこう)と共に私の知る世界は一変しました…」

 右足のけがで入院していた時に被爆した、当時10歳の宮本静子さんが今年初め、長文の体験記をしたためた。

 あの日、父や、母と幼い弟は病院に来てくれ、無事はすぐ確認できた。姉は、学校の先生や同級生たちと一緒に今の広島市役所の近くで建物疎開作業に当たっていた。心配していると、夕方、けがも傷もない様子で家族の元へ戻ってきた。

 ところが、姉の体は日ごと放射線にむしばまれてゆく。髪が抜け、あちこちに青い斑点が出る。次第に弱っていく中、やるせない思いが口をついて出てくる。

 「静子ちゃん、原爆が憎いよ」

 「先生が死んでねぇ、友だちも死んで…、ほんま、かわいそうなよ」

 「アメリカが憎いよ…。こんなにさせられて…」

 そして9月8日、精根尽きたかのように姉は逝ってしまう。まだ13歳だった。

心身の傷癒えず

 広島に原爆が投下されて、きょうで77年になる。何が起きたか分からないまま多くの市民が殺された。静子さんの姉のように無念の死を遂げた人も少なくない。長い歳月の後、放射線の後障害で健康を害し、命を落とした人もいる。

 破壊され、焼け野原になった街は今、原爆の痕跡を探すのが困難なほど復興が進み、発展してきた。しかし被爆者が負った心身の傷が癒えることはあるまい。

 自らを市井の一庶民と言う宮本さんは今も、原爆に関する映画やドラマを見るのがつらいという。思い出すだけでも恐ろしい原爆について、家族以外には誰にも語ることなく、胸の奥に秘めて七十数年過ごしてきた、とつづっている。

 そんな被爆者たちの神経を逆なでする出来事が今年、国内外で相次いだ。

 ロシアがウクライナに侵攻し、子どもを含む市民にも容赦なく銃口を向けている。ニュース映像に心を痛めた人は少なくなかろう。ましてや被爆者はかつて見た光景と重なり、平穏ではいられまい。

 あろうことか、ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用までちらつかせる。使用はもちろん、威嚇ですら言語道断だ。

人類自滅の恐れ

 「核兵器が使われるリスクは冷戦時代以降、最も高まった」。ストックホルム国際平和研究所は6月、ロシアの暴挙を踏まえて指摘した。グテレス国連事務総長も今月初め、警告を発した。人類は広島と長崎の惨禍によって刻み込まれた教訓を忘れ去る危機にひんしている、と。

 核戦争が起きれば、人類は自滅する恐れがある。それを避けようと、1980年代、米国と当時のソ連はかつてない核軍縮に乗り出した。「核戦争に勝者はなく、戦ってはならない」と互いに確信したことが原動力になった。

 同じ趣旨の声明を今月1日の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の開幕に合わせ、プーチン大統領が出した。そこまで言うなら、なぜ行動で示さないのか。

 横暴はロシアに限らない。核保有国は、NPTで義務付けられた核軍縮交渉に誠実に取り組んでいない。それどころか、小型核開発の動きまで散見される。

 被爆者を不安がらせる動きは国内でも起きた。ウクライナ危機に便乗した「核共有」論や防衛力増強論である。

 日本は被爆国として、核兵器がいかに非人道的かを世界に伝え、「核なき世界」の実現を訴えるのが役割のはずだ。

 核抑止論に依存している限り、持続可能な平和は期待できず、かえって軍拡競争の泥沼に陥りかねない。

 安全な世界への道は、核抑止や防衛力増強ではなく、被爆地の願いを形にした核兵器禁止条約の輪に加わることだ。

「継承」支えよう

 先月末に発表された平和に関する全国世論調査によると、戦争回避に最も重要と思う手段は「平和に向け日本が外交に力を注ぐ」の32%が最も多かった。戦争放棄を掲げた日本国憲法の順守の24%が続き、軍備の大幅増強の15%を引き離している。国民の思いは明らかだろう。

 記憶の継承がさらに難しくなっていることにも目を向けたい。被爆者健康手帳の保持者は初めて12万人を下回り、平均年齢は3月末で84・53歳に達した。

 広島市は本年度新たに、家族の被爆体験を語り継ぐ「家族伝承者」制度を始めた。これまで証言活動をしてこなかった人を含め、埋もれた被爆体験の掘り起こしや継承につながることが期待できる。ただ、証言の質をどう担保するか。重い課題だ。存命の家族被爆者だけが対象という市の条件も見直しが必要だろう。

 被爆者のいなくなる時代を見据えて、記憶をどう継承していくか。行政だけではなく、大学や市民も含めたオール広島で支えなければならない。

 体験記を通じ重い口を開いた宮本さんは、核兵器は人類滅亡に直結する絶対悪だと強調している。「それを根絶させる使命が、僭越(せんえつ)ながら平凡に生きている私にもあると思えるからだ」と明かす。

 いかなる状況でも核兵器の使用は許されない。都市を焼き尽くし、兵士でない一般市民を数多く犠牲にする。明らかな戦争犯罪である。それを目の当たりにした被爆者の証言は貴重だ。とはいえ、いつまでも頼り続けることはできない。

 被爆地に住む人や、被爆証言を聞いて心動かされた私たち一人一人にも、できることはあるはずだ。核のリスクが高まっている今、被爆地からの発信の重みは増している。新たな被爆者を生まないため、人類を自滅させないため、何をすべきか、問いかけることから始めよう。

(2022年8月6日朝刊掲載)

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