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社説・コラム

『潮流』 伏龍特攻隊の記憶

■論説委員 吉村時彦

 終戦間際、父は呉市阿賀港沖8キロの情島にいた。潜水服を着けて海底に潜み、米軍の船底に自爆攻撃をする秘密訓練を受けていた。「伏龍」と呼ばれた特攻隊の一員である。

 潜水服は呼吸方法を誤ればたちまち死に至るお粗末なもの。機雷付きの竹ざおを持ち、70キロもある潜水服で動き回れるはずもない。そんなばかげた作戦が進められていた。

 島の近くでは戦艦日向が攻撃を受けて大破。その犠牲者を埋葬するうちにきのこ雲も目撃したらしい。

 「ものすごい音がした。呉で弾薬が爆発したかと思った」。原爆だったことは後で知ったようだが、父はそれ以外は生涯何も話さなかった。自らの死を間近にした10代の少年が、次々と目の当たりにする人の死をどう受け止めたかは分からない。

 特攻作戦は伏龍だけでなく神風、回天、桜花など数多く計画された。軍上層部の「国民全てが特攻精神を発揮すれば日本は滅びない」という鼓舞で若者は命を投げ出した。

 正気とは思えない計画だが、それほど人命が軽んじられてしまうのが戦争の正体なのだろう。ロシアのウクライナ侵攻をみても、民間人を巻き込む惨劇が何度も繰り返されていることがそれを物語る。

 生きながらえた父が仲間に会いに出かけたのは1回だけ。終戦50年の節目だった。船上から情島を眺めたようだ。当時の写真が1枚、実家に残されていた。それを見るにつけ、話を聞かないまま旅立たせてしまったことが悔やまれてならない。

 情島は今、雑木に覆われ、部隊の存在を伝える記念碑を歩いて訪ねることもできなくなっている。今夏、父のメモを頼りに連絡してみた戦友の皆さんは全員が世を去っていた。

 多くの命が失われた過去への想像力が乏しくなっている。防衛費増強が当たり前のように持ち出される風潮もそこに原因があるのだろうか。

(2022年8月6日朝刊掲載)

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