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体験継承へ思い新た 東広島市原爆被爆資料展示室リニューアル ゆかりある2人 苦難味わわせぬ/学びに役立てて

 被爆77年の今月、東広島市原爆被爆資料展示室(西条西本町)がリニューアルオープンした。市原爆被爆資料保存推進協議会(原資協)が運営する発信拠点の新たな一歩。展示にゆかりのある被爆者の御堂義之さん(86)=八本松町吉川=と大成玉光さん(97)=高屋町造賀=は、体験継承に向けた思いを新たにする。(教蓮孝匡、高橋寧々)

 被爆者や遺族、戦争体験者から譲り受けるなどした約1100点が並ぶ展示室。新設した解説パネルを含め、新旧展示の多くに御堂さんは関わってきた。「戦争の愚かさを身をもって知らされた私の使命。そう思っています」

 御堂さんは9歳の時、爆心地から約1・5キロの広島市千田町(現中区)の自宅で被爆した。母や兄たちを亡くし、大工の手伝いなどをしながら暮らした。ひもじさと戦争を起こした大人たちへの不信感に苦しみ、「もう死のう」と何度も思ったという。

 周囲の助けもあり、広島大に進学。神戸大教員として働いた後、定年を機に妻の古里の東広島市に移った。

 神戸時代から学校や集会に出向いて体験を語り、被爆者健康手帳の申請支援にも携わった。東広島に関する戦争の歴史を丹念に研究。原資協の一員として、分かりやすい展示作りに取り組んだ。「私のような苦難を、次の世代の子どもたちに決して味わわせない」。そのための研究と発信に力を注ぎ続ける。

 大成さんが1991年に寄贈した品々は、展示室の棚に収まる。その一つ、さび付いたガスマスク。原爆被災直後の御幸橋近く(中区)で拾ったという。「缶詰一個の金属も貴重な時代。持って帰らんといけんと思った」と振り返る。

 あの日、陸軍の船舶部隊員として、金輪島(南区)の防空壕(ごう)で運搬作業をしていた。何が起きたのか分からないまま市内の宿舎に戻る途中だった。「こんな物が町に転がっている世界が戦争」

 戦時中の記憶は今も生々しい。入隊3日目に遺書を書かされたこと。60キロ入りの米袋を一日中運ばされたこと。「国のために死ぬのは素晴らしい」と教えられたこと…。寄贈した展示品に今回、大成さんの体験をつづったパネルが加わった。「戦争のむごさと愚かさをありのままに伝え、若い人たちの学びに役立てればうれしい」

(2022年8月6日朝刊掲載)

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