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島根の祈り ヒロシマへ 松江・江津・浜田で慰霊や平和の集い 児童ら学ぶ場 学生が企画

 米軍が広島市に原爆を投下して77年を迎えた6日、島根県内でも松江、江津、浜田市で慰霊や平和の集いがあった。被爆者や市民たちが犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願った。(土井和樹、寺本菜摘、黒田健太郎)

 被爆者向け宿泊施設の原爆被爆者有福温泉療養研究所「有福温泉荘」(2013年閉鎖)があった江津市有福温泉町では、地元の湯町自治会が集会所で追悼式を開いた。参列した住民ら18人は、午前8時15分に黙とう。祭壇に折り鶴や花を供えた。

 有福温泉荘で毎年開かれていた式を引き継いでいる同自治会。盆子原温会長(72)は「ヒロシマと有福の関係を今後も大切にしながら、平和の尊さを発信したい」と話した。

 集会所では終戦の日の15日まで、基町高(広島市中区)の生徒が被爆者を取材して描いた、被爆直後の街の様子などの絵画約60点を展示する。

 松江市学園南の北公園にある原爆慰霊碑前では慰霊祭があり、被爆者や2世たち約15人が集まった。早朝から周辺の草刈りや清掃をし、広島市の平和記念式典が始まると、ラジオで様子を聞いた。午前8時15分に黙とう。その後、献花して手を合わせた。

 18年に益田市の被爆者団体が解散したのを受け、娘たちと駆け付けた同市の福寄澄江さん(85)は8歳の時、学徒動員で広島女子商業学校にいた姉を捜すため広島市内に入り、入市被爆した。歩き疲れ、焼けただれた電車の中で一夜を過ごした。倒れた電柱、積み重なった遺体、あちこちで揺らめく火の玉のような何か…。「見たことのない惨状にぼうぜんとしていた」と振り返った。「生まれてきたみんなが平和に過ごしてほしい」と祈った。

 浜田市の原井小では、県立大のサークル「ピース・ライン」が集いを開いた。小中生の部では、親子連れたちが原爆投下で何が起きたかなどについてクイズ形式で学び、折り鶴を作った。両親が長崎市出身の浜田市の松原小2年馬塲麗帆(ばばりほ)さん(7)は「原爆のことは聞いていたが、さらに分かった」と話していた。

 高校生以上の部では、ウクライナの核放棄などについて参加者で議論した。

(2022年8月7日朝刊掲載)

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