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平和への願い込め 5歳で被爆 体験つづる 東広島の廣川さんが手記 生き別れた家族と再会

 5歳の時に広島で被爆し、家族と2年間生き別れて過ごした東広島市西条本町の廣川日出子さん(82)が、体験を手記にまとめた。タイトルは「生きぬいて」。心の中に封印してきた戦争の記憶をたどりながら、苦しい戦後の暮らしを支えてくれた人たちへの感謝と平和への願いを記した。(教蓮孝匡)

 父を早くに亡くし、母と兄2人の家庭で育った廣川さん。1945年8月6日、広島駅(現広島市南区)そばにあった母の勤務先で被爆した。がれきの下から救い出され、火の手が広がる中をトラックで市内の寺に運ばれたという。やけどで皮膚が垂れ下がった人のうめき声が響く境内を、手記に「地獄絵図」と表した。

 自身も頭を陥没骨折し、以前の記憶を失った。自分が誰かも思い出せないまま、見知らぬ家に連れて行かれ、そこの家族との生活が始まった。

 徐々に記憶が戻り、「仮の親」たちの尽力で家族と再会できたのは47年冬。母は職場近くの二葉の里(現東区)で被爆し、大やけどを負っていた。「運命に翻弄(ほんろう)されながら、親に巡り合えたことは何物にも替えがたく、感謝です」と記す。

 2年に及んだ「仮」の家庭での生活や、原爆傷害調査委員会(現放射線影響研究所、南区)で受けた検査の様子もつづった。

 「恐ろしく、忘れたい過去」は戦後、近しい人にも語ったことはない。被爆70年を迎えたころ、恐る恐る振り返り始め、文章にした。冊子にまとめると、長年うなされてきた「誰かに殺されかける夢」も見なくなったという。

 冊子はA5判、28ページ。20部を知人たちに配った。廣川さんは「もう誰も私のようなつらい経験をしてほしくない。戦争が二度と起きない世の中になるよう、心から願っている」と話す。

(2022年8月7日朝刊掲載)

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