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湯崎英彦広島県知事あいさつ ヒロシマ8・6

 本日、被爆77年を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に、広島県民を代表して、謹んで哀悼の誠をささげます。

 そして、今なお、後遺症で苦しんでおられる被爆者や、御遺族の皆さまに、心からお見舞いを申し上げます。

 あの時、川土手で、真っ赤に燃え盛る空の下、中学生らしい黒い人形のような人たちがたくさんころがっていた。「お母さん」。その声もだんだん小さくなり、やがて息絶えていった。

 生き延びても、孤児となった子どもは、転々と身を寄せた家に居場所もなく、廊下に風呂敷を置いて着替え場所とし、被爆者の病気はうつるなど、差別に苦しんだ。

 被爆者が、人生をかけてまで核兵器の廃絶を訴え続けるのは、人間らしく死ぬことも、人間らしく生きることも許さない、この原爆の、核兵器使用の現実を心と体に刻みつけているからです。

 その思いが原動力となり、今年6月、核兵器禁止条約第1回締約国会議が開催されました。被爆者の切実な思いが、世界をもう一歩前に進めた瞬間でした。

 他方で、東欧では侵略戦争が勃発し、あまつさえその侵略国は、核兵器の使用も辞さないとあからさまな脅しを世界にかけるばかりか、当事者でない国の人々さえ、身を守るためには核兵器が必要だ、と言い始めています。

 われわれの多くが、侵略者の脅しが単なる虚勢ではなく、実際に核兵器が使用される危険として認識したのではないでしょうか。

 つまり、核兵器は、現実の、今そこにある危機なのです。

 ウクライナ侵略で世界が突然変わった訳ではありません。世界の長い歴史の中で、理不尽で大量の死を招く暴力は、悪により、しかし、時に正義の衣をかぶりながら、連綿と繰り返されてきました。現在の民主国家と言われる国でさえ完全に無縁とは言い難いかもしれません。

 人間の合理性には限界があるという保守的な見方をすれば、この歴史の事実を直視し、これからもこの人間の性(さが)から逃れられないことを前提としなければなりません。

 しかしながら、力には力で対抗するしかない、という現実主義者は、なぜか核兵器について、肝心なところは、指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。本当は、核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです。

 今後、再度、誰かがこの人間の逃れられない性に根差す行動を取ろうとするとき、人類全体、さらには地球全体を破滅へと追いやる手段を手放しておくことこそが、現実を直視した上で求められる知恵と行動ではないでしょうか。

 実際、ウクライナはいわばこの核抑止論の犠牲者です。今後繰り返されうる対立の中で、核抑止そのものが破られる前に手を打たなければなりません。

 地球温暖化は200年、パンデミック(世界的大流行)は2年超かけて、人類の持続可能性に疑義を突き付けました。核兵器は、誰かがボタンを押せば、人類の持続可能性は30分かもしれません。

 核兵器廃絶は、人類の持続可能性のために最も喫緊の課題であることを認識し、最後の核弾頭が解体・破壊され、この地球上から核兵器が完全になくなるまで休むことなく全力を尽くすことを改めてここに誓い、平和へのメッセージといたします。

(2022年8月7日朝刊掲載)

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