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[被爆77年 家族の記憶] 父の悲しみ 共に背負う 広島の細川さん 「伝承者」へ決意新た

 広島市中区で6日朝に営まれた県立広島第一高等女学校(現皆実高)の原爆犠牲者追悼式。元高校教員細川洋さん(63)=同区=は、施設入所中の父浩史さん(94)に代わって参列した。「毎年来ていた父も喜んでくれとるでしょう」。父の妹森脇瑤子さんの名を刻む碑に静かに手を合わせた。

 当時17歳だった浩史さんはあの日、爆心地から約1・3キロで被爆した。ガラスが刺さるなど大けがを負ったが奇跡的に助かった。一方「生涯最大の悲しみ」を味わう。最愛の妹の死だ。建物疎開で爆心地から約800メートルの土橋町(現中区)付近にいた13歳の瑤子さんは大やけどを負って8月6日夜に亡くなった。

 瑤子さんは被爆死前日までつづった日記を残した。1945年4月の女学校入学の喜びに始まり、8月5日の「明日から家屋疎開の整理だ 一生懸命がんばらうと思ふ」で途絶える。浩史さんは妹の記録を残すため96年に本を出版した。教科書にも取り上げられ今も読み継がれる。

 浩史さんは市の被爆体験証言者として全国各地を飛び回り、自らの体験だけでなく、瑤子さんの日記も紹介してきた。日常を一瞬で奪った原爆の非人道性を「戦争は人間を狂気にし、その究極は原爆である」と指摘してきた。

 長男の洋さんは家族伝承者を志している。きっかけは、2021年に浩史さんが病で一時危篤に陥るなど体調を崩したためだった。「父の性格など家族しか知らないことがある。被爆2世として原爆の悲惨さを次世代に伝えたい」。父に代わって参列した慰霊の場で洋さんは思いを新たにした。(余村泰樹)

(2022年8月7日朝刊掲載)

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