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連載・特集

[被爆建物を歩く] 邇保姫神社の手水舎(広島市南区)

あの日の原点 火災も乗り越え

 黄金山(広島市南区)から連なる小高い丘の住宅地の一角。西本浦町(同)の邇保姫(にほひめ)神社は、約1600年前からこの地を守っているという。参拝者が身を清めるための水盤を風雨から守る手水舎(てみずや)は、1916年に建立された。

 柱には「みんなで護(まも)ろう(被爆建物)」と記したプレートが。宮司の渡部公麿さん(66)は「原爆犠牲者を思い、あの日の原点に戻る大切な建物ですから」と語る。

 爆心地から約3・6キロ。当時の宮司、祖父の孝さん(61年に60歳で死去)は広島一中(現国泰寺高)の教師だった。氏子の安否は。生徒たちは―。神社近くで背中にガラスを浴びたが、皆を助け出そうと、すぐさま大八車を引いて市中心部に向かった。だが、大勢の一中の生徒が犠牲になる。孝さんの息子も学徒動員先でやけどを負った。

 拝殿は、直後から被災者の救護所となった。原爆で焼け出された人たちが、水盤で喉を潤したことだろう。家を失った家族連れ20人ほどが、10月ごろまで住み続けたという。

 かつては本殿と拝殿も被爆建物として市に登録されていた。ところが2007年に不審火で全焼。渡部さんはポンプで必死に水をかけ、手水舎への延焼を食い止めた。2年前にプレートを張り「みんなで護(まも)ろう(被爆建物)」と呼びかけたのは、「火災を乗り越えて一つだけ残った建物を、地域の皆さんと守っていきたい」との思いからである。(湯浅梨奈)

(2022年8月9日朝刊掲載)

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