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惨禍の街に 生きる力写す 47年8月6日の「広島県盆踊大会」 写真残る やぐら囲む幾重もの人垣

 1947年8月6日、現在の広島市中区新天地で開かれた「広島県盆踊(おどり)大会」の写真を、中区流川町で電気店を営む峯野博之さん(75)が保管していた。被爆の爪痕が色濃い市街地で、やぐらを幾重にも取り囲む見物客の人垣が捉えられている。原爆資料館(中区)は「復興へ歩み始めた市民の熱気を伝える貴重な写真だ」と評価する。

 大会は、今の平和記念式典につながる「第1回平和祭」の関連行事として中国新聞社が主催した。写真では、やぐらに飾られた社旗を確認できる。同じ会場とみられるカットは全4枚。これとは別に、近くの通りを練り歩く花がさ姿の参加者たちの写真も複数ある。

 県盆踊大会は46年8月7日、広島市基町(現中区)の旧護国神社跡であった「戦災供養盆踊大会」が前身。当時の新聞によると、名称を変更した47年は12団体が「平和踊」や「広島平和音頭」を披露。平和祭では市長の平和宣言などの式典に続き、各所で伝統芸能や仮装行列が披露された。

 写真は電気店「峯野電気商会」の先代社長で、博之さんの伯父高義さん(95年に82歳で死去)が撮影したとみられる。カメラが趣味で、戦後の新天地かいわいの写真を多く残している。

 軍属だった高義さんは、フィリピンの捕虜収容所で終戦を迎えた。郷里の広島では、11人きょうだいのうち13歳の妹が被爆死。高義さんは帰郷後に流川地区で電気工事の仕事を始め、長男として家族を養った。

 博之さんは「写っているのはきっと、何もかもなくなった広島で伯父のように必死に働いた人々。戦中から我慢を強いられてきただけに、久々の祭りにさぞ沸いただろう」と推し量る。

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 中国新聞社は13、14の両日、戦災供養盆踊大会の理念を引き継いだ「ひろしま盆ダンス」を広島みなと公園(南区宇品海岸)で開く。新型コロナ禍で中断し、3年ぶり。誰もが参加できる「総踊り」などを通じて原爆死没者を悼み、復興に奮闘した人々に思いをはせる。(田中美千子)

(2022年8月9日朝刊掲載)

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