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社説・コラム

社説 長崎原爆の日 非核の誓い より力強く

 同じ被爆地からの核兵器廃絶の訴えは例年に増して力強い。田上富久長崎市長はきのう平和祈念式典の平和宣言で「核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道」と言い切った。

 核兵器をなくす「現実的」なアプローチが必要だとして、禁止条約に背を向ける日本政府への反論にほかなるまい。核兵器の使用は杞憂(きゆう)ではなく、今ここにある危機―。ロシアのウクライナ侵攻を踏まえた現状認識もあらためて共有したい。

 長崎市長の宣言は日本政府に対する具体的な提言で踏み込むことが多い。それに比べ、広島の宣言の歯切れの悪さが指摘されることも過去にはあった。

 ただ、ことしは全体を通じた強い危機感、さらには禁止条約への参加を政府に求める姿勢において、両宣言にさほどの温度差は感じなかった。ウクライナ危機とともに被爆地から今こそ発信すべきことが、鮮明になったからかもしれない。

 むろん長崎の宣言はいつも通り、分かりやすい。16歳で被爆し、下半身が動かなくなった渡辺千恵子さんが1956年の原水爆禁止世界大会で演壇に立った時のエピソードを冒頭で紹介し、心に響いた。米国の水爆実験によるビキニ事件から2年後のことだ。世界中で反核のうねりが起き始めた時代の熱気を思い起こさねば、というメッセージでもあろう。

 長崎は広島と違い、被爆者も交えた委員会の手で宣言を起草している。ことしは5年ぶりに非核三原則に触れ、「核共有」論に警鐘を鳴らした。一部政治家の三原則をないがしろにするような発言に被爆者の起草委員から批判が出たことも、おそらく踏まえていよう。その意味は決して小さくはない。

 もう一つ共感したのは「平和の文化」を根付かせよう、との呼びかけだ。恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする「戦争の文化」ではなく信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決する考え方だという。広島の宣言でも、あらゆる暴力を否定する「平和文化」の振興を掲げたが、より深掘りした感がある。具体化に向けて、両被爆地がさらに手を取り合えないか。

 かねて長崎で焦点となっている「被爆体験者」の救済についても、私たちはもっと関心を持ちたい。国が定める長崎の被爆者援護区域外にいて原爆を体験した人たちだ。一部疾病への医療費支援はあるが、被爆者並みの援護は受けられていない。

 広島で原爆投下直後の「黒い雨」に遭った人たちの救済問題は、広島高裁の司法判断を受けた政府の政治判断によって、曲がりなりにも4月から新基準の運用が始まった。ただ長崎の被爆体験者は対象外のままだ。

 平和祈念式典で大石賢吾長崎県知事が広島の救済拡大に触れ、「体験者にも救済の道を開いていただきたい」と求めたのはうなずける。県の専門家会議は先月、被爆体験者による「黒い雨」証言の妥当性を認める報告書を公表したばかりだ。

 岸田文雄首相は式典に出席後の会見で、被爆体験者の支援事業に、がんの一部を追加する方針を示した。これで十分と言えるだろうか。広島と長崎の援護策に差が生じるのは好ましくない。小手先ではない解決策を政府として考えてもらいたい。

(2022年8月10日朝刊掲載)

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