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社説・コラム

社説 岸田首相と8・6 廃絶の決意 必ず実行を

 「核兵器のない世界」への決意は伝わった。非核三原則の堅持も改めて表明した。岸田文雄首相がきのう、広島市の平和記念式典に首相として初めて臨んだ。

 米国による原爆の投下から77年。式典は新型コロナウイルスの感染防止対策で参列者を減らして営まれた。安倍晋三元首相の銃撃事件を受け、警備は物々しさを増した。そんな中でのあいさつは、被爆地選出のリーダーらしい覚悟を感じさせた。一方で岸田氏の歩もうとする道と、被爆地の認識とのずれも浮き彫りになった。

 ウクライナに侵攻したロシアが核の威嚇を続ける。核兵器使用の危険性が高まる中、今ほどヒロシマの発信が重要なときはない。岸田氏はあいさつに被爆の惨状を織り込み、厳しい安全保障環境という現実を、核なき世界という理想に結びつける努力を続けると誓った。

 続く記者会見では、核なき世界への国際的な機運が後退しているとの危機感を示した。その上で「これを反転させ、再び盛り上げ、核兵器のない世界に向け、歩みを進めていく」と力を込めた。初の式典で決意を新たにしたのは間違いない。

 ロシアが核使用をちらつかせるのに加え、台湾を巡って米中の緊張が高まり、北朝鮮は核実験の再開準備を進める。こうした時期に日本の首相を岸田氏が務めるのは運命とも思える。

 コロナ禍でずれ込んだ核拡散防止条約(NPT)再検討会議の会期が、広島と長崎の原爆の日と重なった。岸田氏は来年の先進7カ国首脳会議(G7サミット)の広島開催も主導した。

 あいさつで来年のG7サミットに関し、各国首脳と「核兵器使用の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓いを世界に示す」と語った。ただし核「保有」の是非には触れなかった。米国の差し出す核の傘に配慮した物言いと想像する。

 岸田氏は、被爆者たちの願いを形にした核兵器禁止条約にも言及しなかった。これに対し、広島市の松井一実市長は平和宣言で一刻も早く署名、批准をするよう求めた。

 式典に初参列した国連のグテレス事務総長も禁止条約を「希望の光」と強調し、「核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだと認識しなければならない」と述べた。

 式典後にグテレス氏は岸田氏と会談し、核なき世界に向けた日本の役割に期待を示した。国連として禁止条約への関与を求めているのは間違いない。

 岸田氏は米国を含む核保有国が加わっていないことを理由に、6月にあった第1回締約国会議にオブザーバー参加をしなかったが、禁止条約自体は核なき世界を目指す上での「出口」と位置付ける。そこに向けて核保有国を変えるしか、核なき世界への道はない―。それが岸田流の「橋渡し」だと。

 その礎とするNPT体制は、再検討会議で最終文書が採択できなければ瓦解(がかい)する。早速、日本の存在感が問われる局面である。

 その上で岸田氏にお願いしたい。次回の締約国会議にはせめてオブザーバー参加してもらいたい。保有国と非保有国との「橋渡し」を務めるためだ。被爆地も国連も望んでいる。唯一の「戦争被爆国」のリーダーにはその責務がある。

(2022年8月7日朝刊掲載)

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