×

社説・コラム

社説 終戦の日 不戦の誓い 今こそ強く

 長い戦争の果てに、日本が敗戦に追い込まれて77年。きのう終戦の日を迎えた。

 ロシアによるウクライナ侵攻により、国際社会の平和と秩序が脅かされている。市街地への砲撃や、逃げ惑う女性と子どもたち、引き裂かれる家族…。私たちも同じだったと心を痛めている人も多いだろう。きのうの全国戦没者追悼式で遺族代表が「戦争は遠い過去の歴史的出来事ではなく、今も身近にあると再認識した」と述べたことに、うなずいた。

 加えて米中の対立で台湾海峡一帯は緊張状態にある。日本を取り巻く安全保障環境は確かに厳しさを増している。その中でも日本がかつての戦争によって多大な犠牲を払った事実を踏まえ、平和憲法の下で二度と戦争はしないと決めたことを決して忘れてはならない。

 その点で考えると、就任後初めて追悼式に臨んだ岸田文雄首相の式辞は、どうだったか。

 「歴史の教訓」という言葉を3年ぶりに復活させ、深く胸に刻むと表明したことは一定に評価できよう。ただ全体を通してみれば、昨年の首相式辞と同じ言い回しがほとんどだ。

 少なくとも2千万人の犠牲を出したとされるアジアへの加害責任にも触れなかった。安倍晋三元首相が2013年に言及を回避して以来、同じスタンスが続いている。いわゆる戦後補償問題と切り離す形で、対外的な謙虚さを岸田政権として示すこともできたのではないか。

 敗戦まで日本が歩んできた道筋を、あらためて思い起こしたい。天皇陛下はことしも過去への「深い反省」を口にして、戦争の惨禍が繰り返されないことを願われた。その意味を私たちは十分に考える必要がある。

 明治維新を経て日本は対外戦争を繰り返してきた。欧州各国を戦禍に陥れ、未曽有の犠牲者を生んだ第1次世界大戦にも参戦する。ただ1928年に不戦条約が成立し、戦争の違法化、民族自決の国際的な潮流ができた後、日本が新たな国際秩序を最初に打ち破る。31年の満州事変である。その後、日中全面戦争に突入して泥沼化。国際的に孤立し、太平洋戦争に至る。

 国際法違反のウクライナ侵攻に踏み切ったロシアの暴挙と、単純に比較はできまい。ただ、かつての日本の横紙破りとロシアを重ね合わせ、謙虚に歴史を見つめ直すべきだ、とする声もある。さまざまな視点から「教訓」を生かすために。

 何より平和国家としての戦後の実績をゆるがせにしないことだ。ウクライナ危機に便乗するかのような防衛費の大幅増の動きには、やはり危惧を抱かざるを得ない。外交による問題解決に重きを置かず、安易に力に力で対抗しようとすれば、周辺国の警戒感を高め、果てしない軍拡競争に陥りかねない。

 ノンフィクション作家の保阪正康さんは、「三重苦」の中でことしの終戦の日を迎えたと指摘している。ウクライナ危機と新型コロナウイルス禍、安倍氏の銃撃事件―。三つの災禍に伴う社会不安や混乱を乗り越え、「知性で、あるいは理性で戦争批判を心の底に定着すべきだ」と問題提起する。傾聴に値する意見だろう。戦争の惨禍への反省に基づく不戦の誓いは、日本がよって立つ原点である。今こそ心に強く刻むべきだ。

(2022年8月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ