×

社説・コラム

『潮流』 「令和」と憲法

■東京支社編集部長 下久保聖司

 青年の真っすぐな主張が1981年8月4日、中国新聞の朝刊に載った。「われわれはあまりにも平穏な日常にどっぷりつかり、戦争のことも原爆のことも知らなさすぎる。若い世代がもっと真剣になって平和を考えなければいけない」。訴えたのは広島を訪れた大阪の高校生。長じて、早稲田大の教壇に立つ。

 先日、60歳で亡くなった川岸令和(のりかず)教授だ。体調が思わしくないと伝え聞いていた。訃報に接し、2019年4月の取材ノートを引っ張り出した。「令和」の元号発表時、政治経済学部長だった川岸教授。名前と元号を絡めたマスコミ各社からの取材依頼を断る中、「被爆地広島の話ならば」と中国新聞の単独インタビューに応じた。

 ひもといたのは、大阪教育大付属高天王寺校舎時代の記憶だ。生徒自治会の新聞局長として広島で被爆証言に触れ、取材記「ヒロシマ」を同級生たちに配布。原爆資料館から写真を借り原爆展も校内で開いた。

 「広島で事の重大さを知り、何かしなければと思ったのでしょう」。生まれ育ったのは高度経済成長の真っただ中。「今の平和な暮らしは尊い犠牲の上につくられた憲法に支えられている。そんな思いを持った」。被爆地に影響された青年は司法試験の考査委員も務める憲法学者となる。

 講義で向き合う学生たちに前のめりな改憲論議の危うさを説いていた。「70年以上変わらなかったのは、この憲法が機能し、一定以上の人が変えなくてもいいと思ってきたから。先人が苦労し、積み上げてきたものを根本から否定するような話になってはいないか」

 広島、長崎の「原爆の日」に続き、終戦の日も過ぎた。秋の臨時国会では憲法改正が大きなテーマとなりそうだ。川岸教授の「遺言」と思える言葉を思い返しながら、与野党の論戦を追っていきたい。

(2022年8月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ