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終戦77年 「戦争しない国を本気で」 中国地方遺族 戦没の家族思う

 終戦から77年の15日、東京都千代田区の日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式に中国地方から広島、岡山、島根、鳥取の4県の遺族58人が参列した。戦争で失った家族を悼み、記憶を風化させまいとの思いを新たにした。ロシアのウクライナ侵攻で国際情勢が緊迫化する中、世界の恒久平和を願う声も相次いだ。(境信重、山本庸平、中川雅晴)

 広島県代表の田平一晄(でんびらかずてる)さん(81)=広島市安佐南区=は陸軍の衛生兵だった父勝三さんをしのんだ。ルソン島の病院で働いていたが、終戦の半年前にマラリアで死去。田平さんは4歳だった。「そばにいてくれたらと寂しい思いをしてきた」。次の世代に戦争を語り継ぐ決意を深くした。

 陸軍兵の父仁志さんを中国大陸で亡くしたのは岡山県代表の伊久(これひさ)毅さん(86)=岡山市東区。終戦の約1カ月前に戦病死した。父が残した田んぼを小学生の頃から守り続ける。「他人の土地を奪う戦争は理不尽で、とても愚かだ」とウクライナ情勢に心を痛める。

 島根県代表の原充男さん(79)=出雲市=は、メレヨン島に兵士として送られた父定信さんが帰らぬ人に。一家の大黒柱を失い、戦後、家族を養うのに苦労する母の姿を見てきた。「戦没者を二度と生まないよう、為政者は戦争しない国づくりを本気で考えてほしい」

 鳥取県代表の国政隆昭さん(86)=智頭町=は、東部ニューギニアで父春長さんを亡くした。終戦翌年に戦死公報が届き「お父さんはもう戻らない。おまえたちが頼りだ」と涙をこらえた母を思い起こす。「戦争は家族を苦しめる。二度と起こしてはいけない」

 原爆死没者遺族代表として参列したのは上田尾敏生さん(65)=広島市南区。母の帷佐子(いさこ)さんは12歳の時、元宇品町(現南区)の自宅で被爆。終戦後に夫婦で漬物の製造会社を立ち上げ、生計を立てた。白血球の数値に異常があったが「顔や口に出さず、懸命に働き私と妹を育ててくれた」。2年前に死去した母に感謝する。

 全国の参列者で最高齢の澤﨑卓兒さん(95)=安芸高田市=は2人の兄を亡くした。長兄の進さんは終戦の1カ月前、レイテ島で戦死。次兄の源次さんはシベリア抑留中に病気を患い、1947年に亡くなった。ウクライナで戦争が続く状況に「私のような経験を若い人にさせたくない」と早期の終結を願った。山口県は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、遺族の参列を見送った。

(2022年8月16日朝刊掲載)

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