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社説・コラム

社説 空襲被害の救済 政治決断を急ぐべきだ

 ことし築城400年を迎えた福山城の国宝天守も、その時に灰じんに帰した。1945年8月8日深夜に米軍のB29の大編隊が福山市上空に来襲し、市街地の8割を焼夷(しょうい)弾で焼き尽くした。原爆投下の2日後であり、広島から福山に逃げて再び戦火に遭った人もいる。分かっているだけで355人が死亡し、重軽傷者は864人とされる。

 こうした無差別爆撃は約10万人が亡くなった45年3月の東京大空襲を機に本格化し、大都市から中小都市へ広がる。広島と長崎の惨禍が語り継がれ、被爆者援護策が曲がりなりにも拡充されたのに対し、「一般戦災」とも呼ばれる民間人の空襲被害の救済は手つかずのままだ。

 ウクライナに侵攻したロシア軍の空襲が日々、伝えられる。77年前の日本の地獄絵図にも、広く関心を持ちたい。そして置き去りだった救済策を早急に具体化すべきである。

 6月に閉幕した通常国会で、そのチャンスはあった。

 与野党の国会議員連盟が準備している空襲被害者の救済法案の扱いである。要綱によると、心身に障害を負った生存者に一律50万円の特別給付金を支給する。だが昨年に続き、またも国会への提出は見送られた。

 議連を率いて立法化に意欲を見せていた自民党の河村建夫氏の政界引退に伴い、北村誠吾衆院議員が新会長に就いて仕切り直したが、自民の側で調整がつかず足踏みが続いている。

 空襲被害者が国に補償を求める運動を起こして半世紀。かつての社会党などが14回提出した救済法案は日の目を見ず、東京や大阪からの訴訟を通じた国家補償の要求も敗訴に終わった。立法府による救済の動きは繰り返される政権交代で曲折を経たものの、与野党有志の努力でようやく前に進んだ。当事者の求めに比べると限定的な内容とはいえ、その意味は重い。

 給付金の対象は4600人、総額23億円という議連の推計がある。国と雇用関係にあった軍人・軍属や遺族に戦後、支払われた約60兆円という巨費に比べると、大きな額とは思えない。自民にいる消極論者の本音は、ほかの戦後処理問題に波及するという警戒感のようだ。

 ただ2010年には、シベリア抑留者に特別給付金を支給する法律が超党派で成立した経緯もある。空襲の体験者は高齢化が著しい。救済に向け、自民党総裁である岸田文雄首相の政治決断を求めたい。

 同時に今からでも空襲被害の全体像に迫る取り組みが求められよう。法案要綱には政府による実態調査も盛り込まれた。

 焼夷弾爆撃を中心にした一連の空襲は犠牲者数も正確には分かっていない。中国地方では福山のほか呉、岡山といった被災地は自治体史などに計8300人以上の死者数を記すが、新たな調査は乏しい。資料収集や展示施設の設置も含め、継承への営みには温度差がある。民間任せの自治体も少なくない。

 民営の東京大空襲・戦災資料センター館長を長く務めた作家の早乙女勝元氏が5月に亡くなった。一夜にして東京の下町を焦土と化した空襲の体験者として実態を掘り起こし、伝えることに力を注いだ。その熱意を見習いたい。法案成立を待たずとも、証言収集など地域単位で可能なことはいくらでもある。

(2022年8月14日朝刊掲載)

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