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社説・コラム

『記者縦横』 8・6 人々の悲哀刻む

■報道センター社会担当 明知隼二

 新聞社で仕事をしていると「紙面に刻む」という言葉を使うことがある。日々の出来事を記事化し、新聞紙面に掲載すれば、歴史の一部として後世に書き残せるという意味だ。デジタル化が進む今では時代がかった表現に聞こえるが、今夏の原爆の日に向けた取材では、あらためてこの言葉の重みを実感した。

 8月6日の朝刊で、原爆によって2歳と0歳の子を亡くした夫妻の悲しみを伝える記事を掲載した。取材過程では、遺影や手書きの手記といった貴重な資料を遺族から借りる一方、自社の古い記事も調べ直した。すると過去の紙面に登場していた夫妻を見つけた。

 1997年9月20日付の夕刊で、見出しは「抜ける青空 彼岸入り」。季節の巡りと彼岸のまちの情景を伝える短い記事だ。広島市中区寺町の墓に参った夫妻は「原爆で亡くなった2人の子どもの供養に来ました」と取材に答え、墓前に花を手向ける姿を収めた写真もあった。

 短い一言だった。それでも既に手記を読み、遺族にも話を聞いていた私は、そこに込められた夫妻の悲哀を思わずにはおれなかった。戦後52年の秋。記事には確かに、2児を失った夫妻が生きた長い戦後の中の一瞬が刻まれていた。

 記者は日々、長短さまざまの記事を書く。紙面とサイトに掲載されるその一つ一つが、地域に暮らす人たちの歴史を刻んでいく。広島の地元紙記者という仕事の責任と意義深さを見つめ直す夏となった。

(2022年8月12日朝刊掲載)

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