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社説・コラム

寄稿 「安野先生」のメッセージ 森万由子

興味こそが学びを深める

制作に生きた教員経験

 広島県立美術館(広島市中区)では、一昨年94歳で亡くなった画家・安野光雅さん(1926~2020年)の作品展を開催している。絵本作家、イラストレーター、エッセイストとさまざまな顔をもつ安野さんだが、もう一つ、別の顔があったことはご存じだろうか。

 画家として独立する前の一時期、安野さんは、小学校の教師として働いていた。本展ではその教員時代に着目し、「安野光雅美術館コレクション 安野先生のふしぎな学校」展と題して、絵本原画や本の装丁、風景スケッチなど多彩なジャンルの作品を、学校の授業科目に見立てて紹介している。

 安野さんが「先生」となったのは、戦後間もなくのことだ。復員後、徳山市(現周南市)で看板描きや測量のアルバイトをするなか、代用教員として採用された。まだ教科書も十分にない時代、試行錯誤しながら独創的な授業を行っていたという。その後、上京してからも、しばらくは教師と絵描きの二足のわらじを続けた。故郷、島根県の津和野で空想を巡らせながら過ごした自身の子ども時代と、子どもと日々交わりながら過ごした教員時代の、どちらものちの絵本制作の大きな糧となったことだろう。

 そのためか安野さんの絵本には、学校での勉強に通ずるものも多い。例えば、「さんすう」の章で紹介している「はじめてであうすうがくの絵本」は、2人のこびとが愛嬌(あいきょう)たっぷりに数学の世界を案内するシリーズだ。ここでいう数学とは、ただ与えられた方程式を使い、難解な数式を解くことが目的ではなく、物事を順序立てて考えたり、ある事象に隠された法則を自分で見つけて応用したりするといった、根本的な思考の道筋そのものだ。そうした考え方が、今日私たちの身近な生活において役立っているさまざまな発明品を生み出したことも、この本は伝えている。

 「りか」の章で紹介している「空想工房の絵本」は、安野さんが絵本作家としてデビューして間もない頃の1969年から約11年間、月刊誌「数理科学」に寄せた表紙絵をまとめた作品集だ。教科書の図解を思わせる、いかにもお勉強という雰囲気のタッチで描かれているが、よく見ると、現実にはありえないことが絵の中で起こっている。何が本当(現実)で何がうそ(空想)か、きちんと理解しているからこそ描き出せる、知的でユーモアあふれる独自の世界である。

 芸術のみにとどまらず、持ち前の好奇心で、数学や科学、文学などさまざまな分野の知識を独学で身につけた安野さん。初めてのヨーロッパ旅行で出会った青年の「勉強をすることはインポータントではないんだよ、インタレストなんだよ」という言葉に感銘を受けたという。この興味(インタレスト)こそが、知識を得るだけでなく主体的に学び、本当に「わかる」ことにつながると安野さんは考えていた。

 複雑さを増す現代社会において、一人一人が「自分の頭で考える」ことの重要性は、以前にも増していると感じる。安野さんが残したメッセージは、今の時代を生きる私たちに、よりいっそう、響くのではないだろうか。(広島県立美術館学芸員)

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 「安野先生のふしぎな学校」展は中国新聞社などの主催で、9月4日まで。会期中無休。

(2022年8月18日朝刊掲載)

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