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三段峡 往時しのばす宿帳 北広島「峡北館」の35冊 近く県立文書館へ

丸木位里・牧野富太郎…著名人の名ずらり

 北広島町の三段峡北側にかつてあった宿「峡北館」の宿帳35冊が見つかった。大正、昭和期の利用者が記されており、水墨画家の丸木位里たち著名人の名前もある。三段峡が当時の人気観光地の一つだったことを示す資料で、所有者が近く町を通じ県立文書館(広島市中区)に寄贈する。(与倉康広)

 峡北館は現在の聖湖口付近にあった。かやぶき屋根が特徴の木造平屋で10以上の部屋があったとみられる。地域の有力者だった後藤吾妻が大正期に営み始めたとみられ、三段峡を訪れる観光客の多くが利用した。樽床ダム建設で1957年に廃業し湖底に沈んだ。宿帳は24~57年のもので「原爆の図」で知られる丸木のほか俳人の河東碧梧桐(へきごとう)や戦前の俳優飯塚敏子たちの名前が記されている。

 日本の植物分類学の父と呼ばれている牧野富太郎(とみたろう)は31年に訪れ「峡中を 二日がかりで 観尽せり」と旅程を記している。安芸高田市出身の日本画家児玉希望は葉の挿絵を添えている。

 保管していた後藤吾妻の孫の克子さん(80)=広島市中区=が6月、北広島町まちづくりセンターの金田道紀センター長(71)に寄贈先を相談して現存していることが分かった。

 金田センター長は「海の宮島、山の三段峡と呼ばれるほど、大正中期以降に名勝としての知名度が上がった。文化人や政治家たち多くの人が訪れていた証しになる」と説明する。町はデジタルデータとして保存した後、県立文書館に託す。

(2022年8月19日朝刊掲載)

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