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連載・特集

緑地帯 池田正彦 「原爆詩集」70年②

 峠三吉「原爆詩集」の「序」で知られる「ちちをかえせ ははをかえせ」の詩は、あの原爆投下による残虐、悲しみ、怒りを内包し、「忘却とあきらめを、めざめの方向へ引き出す歌として充分に訴える力を感じる」(壺井繁治「峠追悼集・風のように炎のように」)と評価され、しかも詩全体をひらがなにすることによりメルヘン的な性格を帯び、簡潔で力強いものとなった。

 平和記念公園にある峠の詩碑を設計・デザインしたのは、四国五郎(1924~2014年)だった。「碑は、峠三吉が暮らした昭和町の平和アパートに向け、シンプルなモニュメントに心掛けた」。そう誇らしげに語る姿を拝見したものだった。

 この詩碑は、峠三吉没後10年に当たる1963年に建立された。60年の歴史を刻んでいることになる。記録を見ると、新藤兼人監督をはじめ多くの文化人・知識人・市民からの志金が集められ、結実したことがわかる。帳面を開けば、当時の息吹が伝わってくる。そんな感慨に浸りながら、この詩碑の前に立った。

 詩碑は、いわば四国五郎の一つの作品であり、戦後の混乱期に峠三吉を中心に集結し、「反核・反戦・平和」を求め一途に邁進(まいしん)した若者たちの記念碑ともいえる。修学旅行の生徒が立ち寄る場所でもあることを考えれば、景観には配慮があっていい。隣に建った被爆遺構展示館は、被爆の痕跡を直接見学できる重要な施設なのは間違いない。しかし詩碑が埋没してしまっては元も子もない。 (広島文学資料保全の会事務局長=広島市)

(2022年8月24日朝刊掲載)

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