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連載・特集

緑地帯 池田正彦 「原爆詩集」70年③

 朝鮮戦争下の1950年8月6日、広島は集会が禁止され、事実上の戒厳令下におかれた。が、反核・反戦の旗を掲げ、集会が敢然と決行されたことは、広島の平和運動の輝かしい歴史として記録されている。峠三吉はこの情景を「一九五〇年の八月六日」(「原爆詩集」)として作品化している。「市民の不安に光を撒き/基地の沈黙に影を映しながら、/平和を愛するあなたの方へ/平和をねがうわたしの方へ/警官をかけよらせながら/ビラは降る/ビラはふる」

 この時の様子を、且原純夫氏は後に編集した峠三吉全詩集「にんげんをかえせ」(風土社)の解説につづっている。「峠三吉のひょろひょろとした姿が会場の福屋デパート前、つまり詩の書かれている場所に現れたときには、集会は解散し、次の予定地・広島駅に向かっていた」「峠はその素材をくれよ、と私に言った。喜んで承諾し詳しく喋った」。さらに、「もし私が書いたとしたら、集会の性格からしても<平和をねがうわたしの方へ>と、いうふうにはとらえなかったであろう」と。

 峠は単に体験を作品化したのではなく、参加した多くの人を取材していることが残されたメモからわかる。この詩は、あえて平明な言葉を使い、躍動的リズムは、演劇的・映像的でさえある。「原爆詩集」の方向性を決定づけた作品として特筆される。

 峠は朝鮮半島が切迫した頃に「反戦詩歌人集団」を結成し、丸木位里・俊の「原爆の図」展開催を主催した。時代が峠三吉の反骨精神を鍛えたのだ。 (広島文学資料保全の会事務局長=広島市)

(2022年8月25日朝刊掲載)

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