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連載・特集

緑地帯 池田正彦 「原爆詩集」70年④

 峠三吉は、途切れることなく日記をつけていた。原爆直後も同様だが、これを克明に書き直して「覚え書」としている。日記と覚え書は、後の「原爆詩集」の底本となり、覚え書だけでも優れた記録として読める。

 「原爆詩集」の「死」「倉庫の記録」に相当する覚え書は、このように記されている。「被服本廠負傷者収容所附近の田畑、熱火にて葉をちりちりに巻く。門前不安な人つめかく。二、三日にして収容者、死亡者氏名(不明のもの―附中二年生等あり―)貼り出さる。コンクリートの倉庫、陰惨な感じ、歪める大鉄扉のある一つを潜る(後日新しき赤十字旗を掲ぐ)」。以降、見舞ったK夫人の話が続き、「道なき道につまづき倒れては起き上がる。力無きまま。彦ちゃん彦ちゃん(K夫人の息子である泰彦の愛称)と子供の名を呼んで泣いた(後略)」。

 「原爆詩集」の「死」では次のようになっている。「(前略)くろく/電柱も壁土も/われた頭に噴きこむ/火と煙/の渦/<ヒロちゃん ヒロちゃん>/抑える乳が/あ 血綿の穴/倒れたまま/―おまえおまえおまえはどこ(後略)」

 おそらく、「彦ちゃん」を片仮名「ヒコちゃん」に変換した時の誤植と思われるが、他にも自筆最終稿、既刊の「原爆詩集」などを比較すると、少なくない違いが散見する。

 「原爆詩集」刊行70年。不思議なことに、今までこうした指摘がなされたことは一度もない。行き届いた読解が進むことを願う。 (広島文学資料保全の会事務局長=広島市)

(2022年8月26日朝刊掲載)

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