緑地帯 池田正彦 「原爆詩集」70年⑤
22年8月27日
峠と一緒に活動した人が著書で「三吉の戸籍上の読み方はみつよしである」と紹介している。この読み方に対して、「本当はどうなのか」という問い合わせを何件かいただいたことがある。そんなわけで直接、峠の姉・千栄子さんにお尋ねした。
千栄子さんによると、名付け親は叔父の延吉(のぶきち)さんで、峠家の男兄弟3人の3番目ということで、「さんきち」と命名したということだった。
ところが、母親のステさんが、この名前を軽いと嫌い、家中では「みつよし」と呼ぶことにしたとのこと。
こういう逸話も残っている。小学校3年生のとき、担任の教師がわざと「さんきち」と呼ぶと、彼は「みつよし」と強く訂正したことがあった。
本人も「さんきち」と呼ばれることを好まず、「余りに軽き名にて他人には馬鹿にさるる事多き名なり」と日記に記している。
しかし、当時の若い仲間からは「さんきちさん」と呼ばれ大変気に入り、自らもそのように名乗った。
作品の中では「三蔵」「光芳」「みつぼし」「みつよし」などとしていて、「峠三吉」の署名は「原爆詩集」以降多くなる。
ちなみに、昭和20(1945)年の日記では「峠三吉」、同時期の「覚え書」では「峠みつぼし」、原爆詩集最終稿(1951・5・10)では「峠三吉」となっており、おそらく本人の気分で使い分けていたのではないかと思われる。(広島文学資料保全の会事務局長=広島市)
(2022年8月27日朝刊掲載)
千栄子さんによると、名付け親は叔父の延吉(のぶきち)さんで、峠家の男兄弟3人の3番目ということで、「さんきち」と命名したということだった。
ところが、母親のステさんが、この名前を軽いと嫌い、家中では「みつよし」と呼ぶことにしたとのこと。
こういう逸話も残っている。小学校3年生のとき、担任の教師がわざと「さんきち」と呼ぶと、彼は「みつよし」と強く訂正したことがあった。
本人も「さんきち」と呼ばれることを好まず、「余りに軽き名にて他人には馬鹿にさるる事多き名なり」と日記に記している。
しかし、当時の若い仲間からは「さんきちさん」と呼ばれ大変気に入り、自らもそのように名乗った。
作品の中では「三蔵」「光芳」「みつぼし」「みつよし」などとしていて、「峠三吉」の署名は「原爆詩集」以降多くなる。
ちなみに、昭和20(1945)年の日記では「峠三吉」、同時期の「覚え書」では「峠みつぼし」、原爆詩集最終稿(1951・5・10)では「峠三吉」となっており、おそらく本人の気分で使い分けていたのではないかと思われる。(広島文学資料保全の会事務局長=広島市)
(2022年8月27日朝刊掲載)