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初の被爆証言 重なった思い 訴えに感銘 広島の後東さん きのこ雲ロゴ 問うた早大生

手紙でつながり 映像共同制作

 早稲田大3年の古賀野々華さん(21)=東京=がこの夏、広島市西区の後東利治さん(83)の被爆体験を伝えるドキュメンタリー映像を作った。きっかけは高校時代に届いた1通の手紙。留学先の米国の高校が「きのこ雲」をロゴマークにする違和感を動画で訴えたところ、感銘を受けた後東さんが筆を執った。世代を超えた平和への思いが共鳴し、共同制作につながった。(川上裕)

 広島市西区の天満小。古賀さんが向けるカメラの前で、後東さんが「生死を分けたのは、わずかな差だった」と校庭に残る被爆樹木を見上げる。6歳だった77年前のあの日、爆心地から約1・2キロの天満国民学校(現天満小)で、倒壊した校舎の下敷きになった。炎が燃え広がる中、自力で脱出したが、仲の良かった近所の友人は犠牲となった。

 「その子の母親からは『一緒に登校したのに、うちの子は帰らんかった』と何度も嘆かれた」と声を絞り出す。被爆体験を周囲に語るのをずっと拒んできたという。「伝えなくてはとの思いは強かった。ただ、あの時の光景を思い出したくなくてね…」。表情をカメラがまっすぐ捉えた。

「背中押された」

 後東さんの初めての証言を引き出したのは古賀さんだった。留学した米西部ワシントン州リッチランドの高校がロゴマークに「きのこ雲」を使っているのを疑問視。長崎原爆の原料のプルトニウムの生産地だったためにデザインされたが、多くの命を奪った原爆を誇りに思っていいのかと帰国前の2019年5月に動画で問いかけた。

 動画はインターネット上で話題を集め、7月に中国新聞セレクトでも紹介。記事を読んだ後東さんが、古賀さんが通う福岡県内の高校に手紙を送った。「素晴らしい問題提起。その勇気に私も背中を押され、被爆証言を始めようと決意した」。ただ、一歩を踏み出せていなかった。

読み返して奮起

 後押ししたのは、またも古賀さんだった。大学でジャーナリズムを専攻。ロシアのウクライナ侵攻を受けて「もう一度、平和を伝える映像を作りたい」と思い立った。大切に持っていた後東さんの手紙を読み返し、ことし5月に撮影の協力を依頼。6月に広島市内に計4日間滞在し、後東さんの案内で母校や被爆死した友人の墓を訪ね、約15分間の映像にまとめた。

 被爆77年を迎えた6日、作品は広島市内のカフェで上映された。会場に招かれた後東さんは「古賀さんがうまく質問してくれたから少しずつ語れた。地元の子どもたちにも証言を伝えたい」と前を向いた。

 古賀さんは一般公開は未定としつつ「後東さんの手紙で被爆の実態をもっと知りたいと思うようになった。核兵器のない世界に向け、この作品から良い影響を与える連鎖が起きてほしい」。きのこ雲の下の惨禍を伝える一助に、と願う。

(2022年8月27日朝刊掲載)

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