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社説・コラム

社説 ゴルバチョフ氏死去 核軍縮の功績忘れまい

 米ソ間の核軍縮に道を開き、東西冷戦を終結に導いた元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏が死去した。

 中距離核戦力(INF)廃棄条約の調印など核戦争の危険を遠ざけた立役者として、被爆地を含む国際社会の評価は高い。1990年には「平和実現への指導的役割を果たした」としてノーベル平和賞を受賞した。

 冷戦終結から30年以上たったロシアでは、プーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切り、核兵器使用をちらつかせて威嚇を繰り返す。そのさなかでの訃報を惜しむ声は各国に広がった。退任後も核なき世界への道を追求し続けた足跡を、今こそ胸に刻みたい。

 ゴルバチョフ氏は米ソが激しい核軍拡競争を繰り広げていた85年にソ連の最高指導者となった。「ペレストロイカ」と銘打った改革は共産党の一党独裁を放棄して国内の民主化を進め、軍縮による東西の緊張を緩和させるのが柱。「グラスノスチ」と呼ばれた情報公開政策で西側のリーダーと信頼を強めた。

 冷戦終結の契機となったのが、87年に米国のレーガン大統領と調印したINF廃棄条約である。ソ連による欧州への中距離核ミサイル配備を機に緊張が高まっていた中、特定兵器を3年以内に全廃することを盛り込み、核軍拡競争の終結を告げる画期的な条約だった。

 調印に際して両首脳は「核戦争に勝者はない。戦ってはならない」と確認。実際に91年までに2692基を廃棄した。さらに同年には戦略兵器削減条約(START)に調印。核軍縮の道筋をつけた功績は大きい。

 しかし、大胆な改革に対する国内の保守派の抵抗もあり、91年には退任に追い込まれた。その後、新たな指導者の下で米ロの核軍縮は足踏みを続ける。

 INF廃棄条約で両首脳が交わした「約束」は今年初め、ロシアを含む五つの核保有国による共同声明で、あらためて確認されたはずだった。ところがその翌月、ロシアがウクライナに侵攻した。プーチン大統領の言行不一致は明らかで、今すぐペレストロイカの原点に立ち返るべきだ。

 INF廃棄条約は3年前、米国がトランプ政権の下、ロシアの条約違反のミサイル配備を理由に破棄、失効した。先月26日に閉幕した核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、ロシアの反対で最終文書が採択できず、前回に続いて決裂した。NPT体制の信頼は大きく損なわれ、核軍縮を巡る情勢は厳しくなるばかりだ。

 ゴルバチョフ氏が被爆地に寄せた思いをかみしめたい。在職中の91年、日ソ首脳会談に合わせて長崎を訪問した。退任後には広島を3度訪れ、核兵器廃絶に向けた訴えを後押しした。本紙のインタビューに「核軍拡競争を止めた背景に広島の声があった」とも明かしていた。

 自国に限らず地球規模で発想した亡きリーダーは現状をどう見ていただろう。ノーベル平和賞決定を受けたクレムリンでの記者会見で「核の脅威を減らすという大きな変化の中で、新しい目的、新しい政策を今後も追求していく」と述べた。その決意が、道半ばになっていることを私たちはいま一度、受け止めなければならない。核なき世界への歩みを諦めず進めよう。

(2022年9月1日朝刊掲載)

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