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連載・特集

緑地帯 池田正彦 「原爆詩集」70年⑧

 峠三吉が活躍した1950年代、日本は占領下の言論統制(プレスコード)の影響が続いた上、団体活動の制約、レッドパージなどが相次いで発動され、社会活動は困難をきわめた。一部には検証なしにこの時代を「空白の10年」と呼ぶ人がいる。

 そんな中、「原爆詩集」は彗星(すいせい)のごとくあらわれ、70年間版を重ね、今も多くの読者を獲得し読み継がれている。日本を代表する詩集の一つであると言っても、決して過言ではない。

 しかし、「ちちをかえせ ははをかえせ」(「序」)についてだけでもあらぬ解釈で歪曲(わいきょく)化する傾向が根強くあった。

 たとえば、「自分につながる人間をかえせというのは儒教的であり個人的エゴイズムである」とか、「へいわは原爆投下されるまでに存在していたのか、なかったものを『かえせ』とは理屈に合わない」などと、まことしやかにささやかれた。

 戦後早い時期の作品「クリスマスのかえり道に」という詩がある。「生き残った青春は風にゆらぐ樹木のように重い/この重さに耐えて少女とわたしは歩く/神があってもなくっても少女とわたしは歩きつづける」

 峠の詩の根底に、このような優しさが包みこまれていることを見逃すことはできない。この優しさが「核兵器使用」の危機に対して鋭い刃となって一気に噴き出したのが「原爆詩集」である。こうしてみると、先に挙げられた批判が、いかに批判に値しないものかわかる。 (広島文学資料保全の会事務局長=広島市)=おわり

(2022年9月1日朝刊掲載)

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