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被爆地 功績たたえる声 ゴルバチョフ氏死去 広島を3度訪問

 31日に訃報が伝わったミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は退任後の1992~2000年に3回、広島市を訪れていた。核軍拡が激化した東西冷戦の終わりを象徴する存在だっただけに、被爆地からは功績をたたえる声が上がった。

 92年4月の初訪問時は、平和記念公園(中区)で原爆資料館を見学し、「この悲劇は決して繰り返してはなりません」と記帳した。原爆慰霊碑や原爆ドームを案内した平岡敬・元広島市長(94)は「冷戦を終わらせ新たな時代を開いた人。核兵器は危険で、なくさないといけないと語っていた」と振り返った。

 旧ソ連の核実験被害者を支援する市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」の小畠知恵子副代表(70)は初訪問時の市民集会に参加し、核兵器廃絶を語るゴルバチョフ氏と対等に意見を交わすライサ夫人(99年死去)の姿が印象に残るという。「夫人ともっと長く活動できれば、世界はより良い方向に進んだのでは」と惜しんだ。

 ゴルバチョフ氏は98年4月、00年11月にも広島を訪れた。さらに秋葉忠利・前広島市長(79)は10年9月にモスクワで面会し、同年11月に市内であったノーベル平和賞受賞者世界サミットへの参加を求め、快諾を得ていたという。体調不良で実現しなかったが「広島が持つ歴史的な意味を強調していた。参加してもらえれば、廃絶への機運は高まっただろう」と残念がった。

 旧ソ連崩壊後のロシアは核超大国であり続け、今年2月にウクライナに侵攻すると、プーチン大統領は核兵器で威嚇した。母親がロシア生まれで、ウクライナ出身の平石エレナさん(43)=南区=は「ゴルバチョフ氏なら戦争にならなかったのでは」と吐露。04年にロシアを訪れて証言した被爆者の森下弘さん(91)=佐伯区=も「国が簡単に変わるわけではないが、希望は持ち続けたい」と話した。

 広島市の松井一実市長は発表したコメントで「平和への思いを実践した為政者」とゴルバチョフ氏に敬意を表した。(明知隼二、余村泰樹)

(2022年9月1日朝刊掲載)

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